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2020年02月10日10:14

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【追悼】赤ちゃんでフランク永井と競い勝った梓みちよに合掌

 梓みちよに心からご冥福を! 突然の訃報でした。
 梓みちよといえば、何と言っても「こんにちは赤ちゃん」。永六輔作詞、中村八大作曲で「夢で逢いましょう」の今月の歌で流された。1963である。これが100万枚の超ヒットで、第5回日本レコード大賞を受賞。
 このときに競ったのがフランク永井の「赤ちゃんは王様だ」だ。赤山勇作詞、三木鶏郎による作品だ。コミカルでフランク永井の歌唱の広さを感じさせるも子供向けの歌で、それなりのヒットを放ったもの。森永乳業のコマーシャルとしての応募作品のようだ。有名な画家によるイラストのジャケットで発売された。同時に多数多種のソノシートが森永ルートで作られ広く頒布された。
 日本レコード大賞で歌唱賞を受けた。大賞にならなかったのはファンとして残念であったのだが、何せ、相手が悪かった。というのは梓に失礼だが、彼女のかわいさといい、授かる子供へのあふれる愛情表現といい、彼女の大賞受賞は誰もが満足いくものだった。
 梓は歌がうまい。これは生涯変わらなかった。ときどき歌謡番組にでて歌を披露したが、聴くたびに感心した。
 梓自身が語っているが、この歌をヒットはさせたものの、この歌には本人は納得できなかったとのことで、自ら長期に封印してしまって、その後しばらくは聞けなかった。それが米国に公演にいったときに、聴いた観衆が涙を出して喜んでいたのを目にして、独り歩きしている歌への気持ちを変えたと。
 若くて子供を知らない私が子供の歌を満足いくように歌えたとは思わないという気持ち。それは自分だけのもので、いったん世に受け入れられて広まった歌は、自分だけのものではない。そもそもこの歌は自分を歌手として世に知らしめるきっかけになった功労の歌ではないか、と40年の封印をといた。その後多いリクエストにこたえて歌っていく中で、この歌への愛おしさと敬意が深まり、自分の魂にまで膨らんでいった。
 梓はその後も多くの歌を歌い続け、ヒット曲をだしていく。「二人でお酒を」「メランコリー」等々。
 時代も歌の色合いもフランク永井の活躍の時代と重なっている。フランク永井も梓も多くのカバー曲を歌っているが、当然重なるものも多い。歌謡曲だけではなく、タンゴ、シャンソンとみごとな歌声を聞かせてくれたものである。
 名曲「二人でお酒を」は、フランク永井の盟友松尾和子とのゴールデンデュエットの初LPで出された。このLPシリーズは2枚あり、大人のムードで二人が歌う絶品だ。お酒を飲みながらおよそ2時間近く、ぶっ通しで聴いてもあきない。大半はその後CD化されているので、いつでも楽しめる。「二人でお酒を」デュエット版はいい。
 「こんにちは赤ちゃん」は出た当時からラジオ・テレビで連日、おそらく、一日で十回以上は同じ放送局から流れたのではないだろうか。それに対してわがフランク永井の「赤ちゃんは王様だ」はといえば、テレビではほとんど見なかったように思う。だが、ラジオでは結構聴いた記憶がある。
 まぁ、この回数の差はやむを得ない。ともかく梓の声のみずみずしさは格別だったし、あの満面の笑顔の価値は他に比較できなかったからだ。フランク永井の方はやはり、「歌唱賞」で歌の実力は見せつけたものの、走る路線の相違のむずかしさを感じてか、本線に力を注いでいくようになる。
 見事な決戦は圧倒的なパワーで梓に軍配。決戦といえば「OK牧場の決闘」でファンをスクリーンにくぎ付けしたカーク・ダグラスも亡くなった。西部劇が好きだった。何度も観た。若かったとき、気持ちを高揚させてくれたものがひとつ、ひとると消えていくのは淋しいことでもあるが、連れずれなる世の流れで誰もとどめることができない。ちょっと、センチにさせてくれた。
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