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2019年06月02日10:01

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Father and Son

 大河ドラマ「八代将軍吉宗」(1995年)は、文字通り、江戸幕府の八代将軍・徳川吉宗の生涯を描いた作品だった。紀州徳川家の生まれながら、三男坊で部屋住みの身だった時代から、二人の兄が相次いで他界し、紀州藩主になった時代、そして徳川本家を継いで将軍となった時代と、場面が大きく変わる。そのため、キャストも目まぐるしく変わる。

 語るべき点も多いのだけれど、ここでは主要人物たちが不意に世を去る姿をよく描いているところに注目したい。流産や死産、若年で命を失う幼児、産後の肥立ちが悪くて亡くなる女性たち。あるいは健康な男性も、理由も分からず急死する。医療も十分に発達していない前近代にあって、死は常に身近なものであった。

 こうした偶発的な出来事が、周囲の人びとに影響を与えるだけでなく、歴史をも変えてきた。主人公の吉宗もまた、兄が健在のままであれば、紀州藩の連枝(分家)として小藩の領主になるか、他家に養子に出ていたはずである。あるいは将軍後継レースのライバルであった尾張藩で藩主の相次ぐ急死がなければ、将軍の座もどうなっていたか分からない。

 そんななか、吉宗の嫡男・家重は、発育が遅く、長じてからも言語が不明瞭であった。異母弟の宗武は、聡明の誉れ高く、彼を次期将軍に推すべしという声もあった。
 こういう時代であるから、家重もまた早世するかと思いきや、49歳(享年51歳)まで生きた。決して長命とはいえないものの、当時としてはそれなりに生涯を全うしたといっていい。
 幕政改革にまい進する父と、先天的な障害を抱え、酒色にふけりがちな息子という構図がドラマの後半部分における軸にもなってくる。家重役・中村梅雀さんの演技もすばらしく、父と子の難しさ、やるせなさが視聴者の胸を打った。

 家重の個性は、少なくとも幕政を主導する将軍の地位にふさわしいものではなかった。しかし当時の幕府は行政機構が発達していたから、将軍の指導力がなくても、それなりに動ける組織にはなっていた。
 ただし影響が全くなかったわけではない。側近政治が横行し、言葉が不自由な家重の意思を唯一くみ取れたとされる側用人・大岡忠光に権力が集中することにもつながった。吉宗時代には抑制されていた、老中以下の幕閣と将軍側近である側用人との対立関係が再び表面化していくことになる。

 いまの時代は、父から息子への世襲が続く仕事や関係は限られている。大部分はそれぞれに職を持ち、離れて暮らすことが一般的になっている。世襲の良し悪しはともかくとして、それが父と息子の関係性に与える影響は無視できない。だから、一定の距離を置くことも、現代では、良好な関係を続ける意味で、かえっていいことなのかもしれない。
 しかし、何らかの理由で父と息子の関係がうまくいかない場合もある。こうしたことは古今東西、あるいは神話の時代から変わらない。そして元号が替わったいまでも、そうしたことがもとで悲劇も起きている。血は水よりも濃いというけれど、それゆえに子ども成長は親にとって何よりも喜ばしい反面、不満は時に両者の憎悪を煽り、悲劇を招く。

 私は二十代の頃に父が亡くなり、周囲の親子関係を半ばうらやましく思ってきた。いがみ合うのもまた、父がいるからできることだ。けれども、対立が深刻化していけば、そうとも言っていられない。
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