■夏目漱石「三四郎」2015年3月第125刷新潮文庫
今回も、積読書の虫干しです。
一年ほど前、マイミクさんが、漱石の「三四郎」を読んで、読書日記を
書いていらしたので、書店の店頭で、何気なく手に取りました。
でも、読んだのは、今。
私にとって、「三四郎」を読む旬は、今だったのかと、妙に納得した次第。
文豪・漱石については、さんざん論評がされてきたし、この「三四郎」に
ついての、評論や論文も、星の数ほどあると思うので、漱石の作品について
読書日記であれこれ言うのは、実は勇気がいります。
まぁ、でも私の場合は、道楽読書なので、見事に開き直って書いちゃいます。
漱石の作品は、読んでいるようで読んでいなくて、私は、「猫」と「坊ちゃん」と
「草枕」と「夢十夜」と「こころ」しか読んでいませんでした。
著名な「三四郎」もやはり読まなくっちゃという、教養主義ではなく、道楽として
読んだが、案外、面白かった。
「三四郎」と対をなすのは、「坊ちゃん」かなと思ったのですが、なぜかといえば、
どちらも、若者の青春譚の物語だが、「坊ちゃん」が、江戸っ子の青年が地方に
行って繰り広げられるドタバタだとしたら、「三四郎」は、地方の青年が、花の
お江戸に来て、様々な経験をする話。
私は、地方出身なので、三四郎の気持ちは、痛いように身に沁みました。
でも、「坊ちゃん」が、痛快エンタテインメント三文小説としたら、「三四郎」を
読むためには、ペダンチックないわゆる教養が少し必要かなと思いました。
「三四郎」を読んでいないマイミクさんのために、惹句も紹介しておきますね(^^♪
“熊本の高等学校を卒業して、東京の大学に入学した小川三四郎は、見る物
聞く物の総てが目新しい世界の中で、自由気侭な都会の女性里見美禰子に出会い、
彼女に強く惹かれてゆく…。”
“青春の一時期において誰もが経験する、学問、友情、恋愛への不安や戸惑いを、
三四郎の恋愛から失恋に至る過程の中に描いて「それから」「門」に続く三部作の
序曲をなす作品である。 ”
漱石も、「猫」から始まって、「三四郎」くらいまでにとどめておいたら、胃潰瘍で
亡くなることはなかったと思いますが、この「三四郎」三部作から、文学の深遠に
旅をして、文学の底なし沼で、戦死したのではないかと思っています。
でも、漱石がそうしたからこそ、日本人は、漱石という珠玉の文学的遺産を手にする
ことができたのではと、思いました(^^♪
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