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2006年03月20日23:14

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●朧霞抄 ( 2)/■馬鹿は教えたがる

■たとえば職場で

 ●良寛ならば、どうするか。そんなことを考えていた。

  もし、「良寛さん」が私のいまの職場で働いていて、
  この状況であれば、さて「良寛さん」どうするかナー。


  だいたいの予想はつく。彼は、ひとを正したりしないだろうと。
  自分のやることを黙ってやるのみで、ひとを変えようなどとは
  思わないだろう。


  「利口なものは学びたがり、馬鹿は教えたがる」と書いたのも
  そんな思いがするからだ。




■人を正す

 ●余分なことだ、ほっとけ、ほっとけ。

  狭量な私は、つい正そうとする。
  しかし、それは詮無いこと、無意味なこと。


  たとえば、こうだ。


  私は始業8:45なので、20分前の8:25に職場に入る。
  彼は8:00前に入り、公社に電話を入れる。
  「きょう出勤は、私と石場さんです」


  その点呼の電話を公社に入れたら、あとは8:45まで何ンにも
  しない。公社に電話を入れるために、45分も早く来る。


  私は、着替えて、今日の集会室の利用のある部屋を確認し、
  カギをあけて回る。また、部屋の利用が終わったら提出してもらう
  「使用報告書」の準備をする。


  玄関の郵便ポストを開ける。郵便物や居住者からの提出書類、
  管理組合役員の指示書などの有無をたしかめる。
  もし、何かポストに入っていれば、その処理もする。


  厨房に行って、湯沸しのポットに水を入れて、お湯を沸かす。

  そんなことをしている私を彼は見ているが、何ンにもしない。
  椅子に浅く腰を掛け、伸ばした脚を組んだり曲げたり。

  清掃のおばさんがやってきたら、「おぉ、おはよう!」と言って
  おしゃべりが始まる。


   ・・・・・


 ●私は、ついつい、「ちょっと手伝ってよ」と言いたくなる。

  それは、ひとりでやってやれない訳ではないけれど、「不公平」が
  気になる。それを正したくなる。


  それは、労働の「しんどさ」から彼に手伝いを頼むのではない。
  「正義」に反しているという「観念」が、彼を正したくなる。
  「お前も働けよ。オレ、働いているだろう」という気持ちにさせる。



  不払いの残業を私はする。そうしないと、いまの仕事がまわらない。
  「不払い」については、かつての私では考えられないくらい
  無頓着である。逆に、心から本当の意味で、小さな会社のために
  「奉仕労働(サービス残業)」をする。


  イライラするのは、「不払い」のことではなく、仕事が残っているのに
  彼が定時の5:15にさっさと帰ることだ。もちろん、残っても
  彼は伝票・経理はできない。手伝えない。

  でも、彼でもできる集会室の後片付けや、施錠、ポットのお湯捨て、
  トイレの消灯、ブラインド降ろし、どれひとつとしてしようと
  しない。


  彼の名言「気づいた人がやればいい」。
  気づかなければ金輪際しなくていいのだ。
  だから、気づくはずもないのだ。



 ●変えてはいけない。変えてはいけない。

  変わるときがくれば変わるし、変わらないものは変わらない。
  「などかあやしき」である。

  それはなんの不思議もない、あたりまえのことである。


  なのに、それを変えようとする。



  きわめて瑣末なことがら。しかし、ここを丁寧に生きたい。
  度量の大きさの問題にしてこれを一挙に跳び越えず、
  こんなことに拘泥する自分をていねいに生きてみたい。

  ゆっくり自分をながめてみたい。


  はははは、また、こだわってるぅー・・・と、
  ニッコリ、自分をわらってやりたい。




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