■たとえば職場で
●良寛ならば、どうするか。そんなことを考えていた。
もし、「良寛さん」が私のいまの職場で働いていて、
この状況であれば、さて「良寛さん」どうするかナー。
だいたいの予想はつく。彼は、ひとを正したりしないだろうと。
自分のやることを黙ってやるのみで、ひとを変えようなどとは
思わないだろう。
「利口なものは学びたがり、馬鹿は教えたがる」と書いたのも
そんな思いがするからだ。
■人を正す
●余分なことだ、ほっとけ、ほっとけ。
狭量な私は、つい正そうとする。
しかし、それは詮無いこと、無意味なこと。
たとえば、こうだ。
私は始業8:45なので、20分前の8:25に職場に入る。
彼は8:00前に入り、公社に電話を入れる。
「きょう出勤は、私と石場さんです」
その点呼の電話を公社に入れたら、あとは8:45まで何ンにも
しない。公社に電話を入れるために、45分も早く来る。
私は、着替えて、今日の集会室の利用のある部屋を確認し、
カギをあけて回る。また、部屋の利用が終わったら提出してもらう
「使用報告書」の準備をする。
玄関の郵便ポストを開ける。郵便物や居住者からの提出書類、
管理組合役員の指示書などの有無をたしかめる。
もし、何かポストに入っていれば、その処理もする。
厨房に行って、湯沸しのポットに水を入れて、お湯を沸かす。
そんなことをしている私を彼は見ているが、何ンにもしない。
椅子に浅く腰を掛け、伸ばした脚を組んだり曲げたり。
清掃のおばさんがやってきたら、「おぉ、おはよう!」と言って
おしゃべりが始まる。
・・・・・
●私は、ついつい、「ちょっと手伝ってよ」と言いたくなる。
それは、ひとりでやってやれない訳ではないけれど、「不公平」が
気になる。それを正したくなる。
それは、労働の「しんどさ」から彼に手伝いを頼むのではない。
「正義」に反しているという「観念」が、彼を正したくなる。
「お前も働けよ。オレ、働いているだろう」という気持ちにさせる。
不払いの残業を私はする。そうしないと、いまの仕事がまわらない。
「不払い」については、かつての私では考えられないくらい
無頓着である。逆に、心から本当の意味で、小さな会社のために
「奉仕労働(サービス残業)」をする。
イライラするのは、「不払い」のことではなく、仕事が残っているのに
彼が定時の5:15にさっさと帰ることだ。もちろん、残っても
彼は伝票・経理はできない。手伝えない。
でも、彼でもできる集会室の後片付けや、施錠、ポットのお湯捨て、
トイレの消灯、ブラインド降ろし、どれひとつとしてしようと
しない。
彼の名言「気づいた人がやればいい」。
気づかなければ金輪際しなくていいのだ。
だから、気づくはずもないのだ。
●変えてはいけない。変えてはいけない。
変わるときがくれば変わるし、変わらないものは変わらない。
「などかあやしき」である。
それはなんの不思議もない、あたりまえのことである。
なのに、それを変えようとする。
きわめて瑣末なことがら。しかし、ここを丁寧に生きたい。
度量の大きさの問題にしてこれを一挙に跳び越えず、
こんなことに拘泥する自分をていねいに生きてみたい。
ゆっくり自分をながめてみたい。
はははは、また、こだわってるぅー・・・と、
ニッコリ、自分をわらってやりたい。
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