「廃村と過疎の風景」第1集〜第8集、出展しました。いや〜、冬のコミケも体力と気力が問われますね〜(^_^;)国際展示場駅から会場までは、いつもよりも一本早い電車に乗ったからか混雑が激しかったです。その代わりか、終わりもいつもより早く、終了時(夕方4
「廃村と過疎の風景」第1集〜第8集、出展します(^_^;) *「全県踏破への道」(第7集・第8集)がメインです。 *第1集〜第3集は、少部数です。 日時 2015年12月30日(水)10時〜16時 場所 東京ビックサイト(東5ホール“マ”ブロック−34b)
2015年もあとわずか。1年を振り返ると、「手元からバイクがなくなった」という出来事があることに気がついた。2月下旬のことである。1984年11月から継続して所有していたから、31年の歴史にピリオドを打ったわけだがなぜかあまり印象深くない。1990年8月から2
申川(さるかわ)は、男鹿半島の付け根あたり、今回めぐった秋田県66か所の廃村の中で唯一海辺にある。「秋田・消えた村の記録」には「申川の住民は漁業で暮らしていた」と記されているが、現在、海辺に漁業施設は皆無である。 菅江真澄ゆかりの日吉神社の
昨夜、久しぶりに大林で呑んだ。コの字カウンターの入口側に陣取った。驚いたことに、テーブル席がなくなっていた。跡にはヤカンを乗せた石油ストーブがひとつ置かれているだけで、何か殺風景だ。「テーブルがなくなりましたね」と声をかけると、大将は「足が
平成27年10月31日(土)、秋田県廃村調査第3陣の1日目、旧田代町杉の沢に続いて、2月にも出かけた戸数2戸の過疎集落 保滝沢(ほたきざわ)に立ち寄った。正確に言うと、保滝沢冬季分校跡地にのみ立ち寄った。山田小学校保滝沢冬季分校は,へき地等級1級,児
平成27年12月9日(水)、野坂昭如さんが亡くなられた(享年85歳)。この秋、父が他界したこともあってか、訃報に敏感になった。故人をカラオケで偲ぶのは、おそらく今年になってから始めたことだが、結構はまっているので、今後も続けたいと思う。 1.マリ
平成27年12月5日(土)、大学関係の同窓会があって、3年ぶりぐらいに、母校 東大阪市の近畿大学へ出かけた。近大は、マグロ養殖の成功と、志願者数日本一が追い風になって、間々、雑誌や書籍で取り上げられていることがわかった。しかし、訪ねた当日は大学の
昨夜(12/3(木))、「HEYANEKOのホームページ」の「500か所超えへの道」の旅行記、岐阜・石川以南 No.19「北九州 雨のダム系廃村めぐり」〜 佐賀県吉野ヶ里町大川内,福岡県那珂川町五ケ山,宮若市犬鳴をアップしました。 「旅心のページ」トップでは、No.1
平成27年11月30日(月)、久しぶりに気まぐれな散歩ができたので、前々から気になっていた尾久(おく)駅とその近辺に、初めて足を運んだ。3月に上野東京ラインが開業して、浦和−横浜が、上野・東京経由、中距離電車で行けるようになった。浦和−横浜間の駅
平成27年10月8日(金)、秋田県の廃村調査第2陣の1日目、第2陣・最初2か所のポイント(五城目町下北口、滝ノ下)に足を運んだ後、札幌から参戦の成瀬健太さんと八郎潟駅で待ち合わせた。八郎潟干拓地・大潟村の最寄駅、八郎潟町の中心駅で、特急が停まる。大
平成27年11月21日(土)、家のガーデンの裏にあった立木が切られた。マンションの部屋は7階、立木は3階の高さにあって、その差を埋め合わせる、大きな木だった。樹を切るのは簡単だが、元に戻すことはできない。マンションの一住民の私は、ラティスを増やすこ
平成27年10月11日(月祝)、秋田県の廃村調査第2陣の4日目、 第2陣・20か所のポイントをすべて訪問したあと、時間が余ったので、指定席券を早い時間の新幹線に替えるため、男鹿駅に立ち寄った。この日は土日祝の3日目、上りのこまちに空席は薄く、夕方6時16分
平成27年10月8日(金)、秋田県の廃村調査第2陣の1日目、 クルマは秋田駅東口のレンタカー店で借りた。秋田駅の表側は西口で、裏側の東口はとても地味だ。レンタカー店を使う旅をしていると、裏側めぐりをすることになる。ある意味、とても面白い。 画像 秋
平成27年11月3日(火)、秋田県の廃村調査第3陣の4日目(最終日)、 62か所のポイントをすべて訪問したあと、鷹巣市街のレンタカー店にクルマを返しに行く途中、大館−鷹ノ巣間にある早口(はやぐち)駅で一服した。1日目、大館で借りたクルマが早口川流域の
平成27年10月31日(土)、秋田県の廃村調査第3陣の1日目、 予定より約1時間遅れの午後12時4分、普通列車はクルマを借りる大館駅に到着した。地上に改札がある昭和な雰囲気の駅は、「ふるさとの駅」という感じがする。ただ、弘前とは異なり、駅前に賑わいは感
平成27年10月31日(土)、秋田県の廃村調査第3陣の1日目、 前日の大阪での父の告別式から1200km以上陸路で動き、新青森駅を経由して、朝10時24分、弘前駅に到着した。都会のような雰囲気の駅は、奥羽本線(在来線)の駅としては珍しい。少し離れて、大きな駅
平成27年11月1日(日)、秋田県の廃村調査第3陣の2日目、 旧阿仁町鍵ノ滝(かぎのたき)も平成27年2月以来 9か月ぶりの再訪。 櫃畑、鍵ノ滝と風流な名前の廃村が続く。鍵ノ滝の最盛期の戸数は5戸、移転は昭和46年。 阿仁スキー場は、鍵ノ滝の地内にある。#ス
平成27年11月1日(日)、秋田県の廃校調査第3陣の2日目、旧阿仁町櫃畑(ひつはた)は平成27年2月以来 9か月ぶりの再訪だった。櫃畑の最盛期の戸数は5戸、移転は昭和46年。阿仁スキー場に通じる道は広くて走りやすい。しかし雪の中と同じく、秋にも集落跡に存
平成27年11月1日(日)、秋田県の廃村調査第3陣の2日目、旧阿仁町大平(おおだいら)は、秋田内陸線岩野目駅から1km弱の距離にある。二万五千図(阿仁合、1974・2007)の橋をあてに訪ねてみたが、踏切の先は藪になっており、その先には進めなかった。大平の最
平成27年11月16日(月)、福井県若狭の廃村めぐり、敦賀までの帰り道、小浜市街で国道からはずれ、道の駅に立ち寄り、「オバマまんじゅう」を土産に買った。あまり甘くない、品の良い味だった。八重山のオバアで名を馳せた小浜島は「こはまじま」。小浜市は「
平成27年11月16日(月)、福井県若狭の廃村めぐり、この日3番目に訪ねたおおい町(旧名田庄村)永谷(ながたに)には、すべり台とブランコが残されていた。永谷の往時の戸数は9戸、移転は昭和60年頃、学校は、手前2kmほどの集落 出合(であい)にあった。「関
平成27年11月16日(月)、福井県若狭の廃村めぐり、クルマは、JR北陸本線敦賀駅前で手配した。「妙に新しい駅舎だなあ」と思い、駅前の土産店の方に声をかけたところこの10月に完成したばかりとのこと。「2年ぐらい工事が続いてたいへんだったけど、何とか落
11/16(月)、福井県の廃村 おおい町(旧名田庄村)出合に出かけてきました。 「廃村千選」のポイント(廃校廃村)は出合1か所ですが、近隣の廃村(学校はなし)挙原、永谷、虫谷にも足を運んだのであわせて4つの廃村をめぐりました。秋田県廃村調査の特需が
平成27年11月1日(日)、秋田県の廃校調査第3陣の2日目、旧阿仁町露熊(つゆくま)は、平成11年10月以来 16年ぶりの再訪。露熊の最盛期の戸数は13戸、移転は昭和45年、集落から1km弱手前には「露熊七面山」という施設がある。16年前に訪ねたときは二階建ての
平成27年11月1日(日)、秋田県の廃校調査第3陣の2日目、旧阿仁町露熊(つゆくま)は、平成11年10月以来 16年ぶりの再訪。平成11年といえば、廃村めぐりもかけだしの頃で、露熊は「廃村 千選」 〜 編者が訪ねた「廃校廃村」で38番(最新 481番)、 http://
平成27年11月1日(日)、秋田県の廃校調査第3陣の2日目、旧森吉町高畑(たかはたけ)には、たどり着けるかどうか心配だった。ダム建設で廃村となった桐内沢からさらに奥へ約2km。桐内沢分校跡付近にクルマを置いて、歩くことおよそ30分、道沿い、二万五千図(
平成27年11月1日(日)、秋田県の廃校調査第3陣の2日目、森吉山ダムのダム湖(森吉四季美湖)沿いには見慣れぬ複数の離村記念碑が建っていた。これらにはすべて、往時の道筋、川筋、家屋の配置が刻まれており、見慣れた桐内沢の碑とよく似ている。 http://he
「コミックマーケット89」に出展します! http://www.din.or.jp/~heyaneko/comike89.html「廃村と過疎の風景」第1集〜第8集、出展します(^_^;) ●日時 2015年12月30日(水)10時〜16時 ●場所 東京ビックサイト(東5ホール“マ”ブロック−34b)
少々遅くなりましたが、土曜日(11/7)「HEYANEKOのホームページ」の「500か所超えへの道」の旅行記、 新潟・富山以北 No.19 「かがやきで 合掌造り集落へ」〜 富山県南砺市小瀬、仙野原、北原をアップしました。 http://heyaneko.web.fc2.com/fsn19.html