平成30年GW前半、新潟県中越 廃校廃村の旅、1番目の目標 五分一(ごぶいち)は、柏崎市街から12km、標高93mの丘陵の中にある。「廃村千選」では、住宅地図の比較から平成21年頃離村としている。手前に大きな施設があって、カーナビだとここへ案内される。施
平成30年6月下旬、大阪出張では「もしものとき」のため、黒ネクタイを持参していました。飛行機を苦手とする妻は、新幹線で大阪へ移動していました。雨の土曜(6/23)の午後、妻から「お父さんが亡くなりました」との一報が入りました。1年ほど前に骨髄異形成
平成30年6月下旬、大阪出張、東京−大阪間の移動には、スターフライヤー関西空港便(ANA共同運航)を選びました。飛行機に乗るのは今年12回目。だいぶ慣れたつもりでも、マイレージのカードで搭乗手続きなしで保安検査場に行けるサービスがあることを初めて知
平成30年5月、千葉県 廃校廃村の旅、目的地 芝山町台宿(だいじゅく)からの帰りは、芝山鉄道 芝山千代田駅から東成田駅に出て、関西空港を目指しました。東成田駅は、成田空港駅として昭和53年に開業。 成田空港(昭和53年開港)へのターミナル駅として賑わ
平成30年5月、千葉県 廃校廃村の旅、目的地 芝山町台宿(だいじゅく)には、芝山鉄道 芝山千代田駅で自転車を借りて出かけました。芝山町は成田市の南東側にあって、人口は約7500名(H.30)。成田空港問題−三里塚芝山連合で耳なじみがある名前ですが、足を運
平成30年5月、空知上川 廃校廃村の旅、1日目に訪ねた沼田ダム、ホロピリ湖展望台には「昭和地域史跡図」「浅野地域史跡図」が展示されています。Team HEYANEKO が展望台を訪ねたのは、探索の後でした。探索前、場所や名称をしっかりチェックしていたら、精度
平成30年5月、空知上川 廃校廃村の旅、1日目に訪ねた沼田町浅野(あさの)は、かつて大きな炭鉱があった廃村です。雨竜炭鉱は、昭和5年から昭和43年まで操業。炭鉱集落が無住化(昭和45年離村)した後、沼田ダムの建設が進み(昭和47年着手)、平成3年、ダム
平成30年5月、空知上川 廃校廃村の旅、1日目に訪ねた沼田町幌新(ほろしん)、ほろしん温泉の敷地内には炭鉱資料館があります。炭鉱とは、雨竜炭鉱(浅野)、太刀別炭鉱、昭和炭鉱の総称ですが昭和の存在感が強い感じがします。昭和炭鉱のジオラマがあったの
平成30年5月、空知上川 廃校廃村の旅、1日目に訪ねた沼田町幌新(ほろしん)は、かつて駅があった農山村の高度過疎集落です。留萌鉄道は、留萌本線恵比島駅から昭和駅までの石炭輸送のための鉄道で、昭和5年から昭和44年まで運行されていました。幌新小学校は
2018年の廃村探索は、よく北海道に足を運んでいます。ふと気になって、「廃村千選」北海道の累計訪問数を数えたところ、6月の後志胆振で100か所を越え、111か所になったことがわかりました。ちなみに今年の累計訪問数は35か所、今年はこれで終了です。節目は
平成30年6月、後志胆振 廃校廃村の旅、2日目の午後、積丹町 漁村の廃村 浜婦美(はまふみ)の学校跡を目指す探索は草の茂みの深さに、とてもなんぎしました。五万地形図(幌武意、S.35)の文マークを信じて、山道からなるべく等高線に沿って、心当たりの場所
平成30年6月、後志胆振 廃校廃村の旅、2日目の午後、積丹町 漁村の廃村 浜婦美(はまふみ)を、成瀬さんと2人で訪ねました。浜婦美の浜は、クリスタルビーチという名称で呼ばれており「積丹半島でいちばん美しい」とのことです。歩き始めて20分ほどで海が見え
平成30年6月、後志胆振 廃校廃村の旅、3泊4日の行程の3泊目は、羊諦山麓の町 喜茂別(きもべつ)に泊まりました。喜茂別町は札幌市に隣接する行政町(自治体)で主要産業は農業、名産品はアスパラガス。人口は2200名ほど(H.30)、うち1600名は喜茂別市街に住
平成30年6月、後志胆振 廃校廃村の旅で訪ねた京極町 錦(にしき)は、2月の旅でも訪ねています。定点観測をすると、冬と夏の違いがよくわかります。2月はちょうど私の身長(185�僉砲阿蕕い寮兩磴�あったようです。 画像1: 錦・馬頭観音碑(その1)
平成30年戌年、9度目の廃村探索、北海道(後志・胆振)の廃村に行ってきました3泊4日(6/8(金)〜11(月))、うち金曜は前泊なので、正味3日の行程で、仁木町、古平町、神恵内村、積丹町、共和町、ニセコ町、蘭越町、豊浦町、洞爺湖町(旧洞爺村)、留寿都
平成30年5月、空知上川 廃校廃村の旅、2日目に訪ねた名寄市御園(みその)は、市街地にほど近い戦後開拓集落の廃村です。名寄駅から御園の学校跡までは、5�辧�10分ほど。ただ、地名は旭東(きょくとう)となっており、御園はあまり知られていない感じがします
平成30年5月、空知上川 廃校廃村の旅、3日目に訪ねた上川町旭ヶ丘(あさひがおか)の学校跡には、大規模農場の施設が建っていました。施設の方に「おじゃまします」とご挨拶をすると、開拓集落に係わる職員の方と話をする機会に恵まれました。大きな黒いサイ
平成30年5月、空知上川 廃校廃村の旅、3日目に訪ねた上川町中越(なかこし)には、かつて石北本線の駅がありました。上川管内と網走(オホーツク)管内を結ぶ大動脈だった国道273号も通りますが、高規格道が整備された今、通過するクルマもあまり走っていませ
平成30年5月、空知上川 廃校廃村の旅、3日目に訪ねた士別市大英(たいえい)の学校跡には、崩れかけた校舎が残っています。piroさんのレポート(平成19年4月?)や成瀬さんのレポート(平成24年9月)には山深くに残る崩れかけた校舎が載っており、どんなところ
平成30年5月、空知上川 廃校廃村の旅、3日目に訪ねた愛別町旭山(あさひやま)は、大関旭國が生まれ育った廃村です。旭國の「旭」は、故郷旭山に由来するとのこと。その後、旭國は大島親方として、横綱旭富士をはじめ、旭道山、旭鷲山、旭天鵬など「旭」の四
平成30年5月、空知上川 廃校廃村の旅、3日目に訪ねた旧朝日町上似峡(かみにさま)には森の中、ブロック造の往時の校舎が残っています。上似小学校は、へき地等級4級、児童数35名(S.34)、昭和8年開校、昭和41年12月閉校。岩尾内ダム建設に伴い、全戸移転が
平成30年5月、空知上川 廃校廃村の旅、3日目に訪ねた士別市(旧朝日町)似峡(にさま)には、市街地と呼ばれる規模の集落がありました。似峡小学校は、へき地等級2級、児童数135名(S.34)、大正4年開校、昭和42年閉校。学校跡は岩尾内ダム湖の湖底になってい