平成30年11月中旬、山形県の廃村探索1日目、清水山に続いて訪ねた寒河江市柳ノ沢(やぎのさわ)は、寒河江市街から17�辧�標高370mの熊野川の谷沿いにあり、白岩局郵便区全図(S.45.8)には9戸とある。訪ねてみると、集落跡には人の気配はなく、残った家屋も傷
平成30年11月中旬、山形県の廃村探索1日目、続いて訪ねた寒河江市清水山(しずやま)は、寒河江市街から14�辧�標高435mの丘陵面にある戦後開拓集落で、白岩局郵便区全図(S.45.8)には9戸とある。訪ねてみると、集落跡にはさくらんぼ畑が広がっており、手入れ
平成30年11月中旬、山形県の廃村探索1日目、まず、R.112から西川町の鉱山集落跡 高旭(たかひ)を目指したが、製材作業のクルマに行く手を阻まれて断念。川沿いの道は、トラックが行き来するためか荒れていた。目標を改めて訪ねた寒河江市畑(はた)は、寒河
平成30年11月中旬、山形県の廃村探索1日目、起床は未明5時。天気はおおむね晴。大宮駅からはやぶさで仙台に出て、仙山線で山形県に入り、北山形駅で左沢(あてらざわ)線に乗り換えて終点左沢駅で村影さんと待ち合わせたのは午前10時5分。左沢は古くから栄え
平成30年9月中旬、秋田県の廃村探索3日目、福万から外山(そでやま)までは4�辧�「いよいよこの旅の千秋楽」と思いきや、ちょうどその中ほど、赤水集落跡辺りで「全面通行止」「立入禁止」という案内板に出くわしてしまった。何でも道路崩落があったらしい。
平成30年9月中旬、秋田県の廃村探索3日目、川原毛に続く目標の 旧山内村福万(ふくまん)、外山(そでやま)には、林道を使って旧雄勝町秋ノ宮に出て、R.108、R.13で横手市街に出るルートで向かった。しかし、泥湯方面に戻り、R.398を使うルートのほうが良か
平成30年9月中旬、秋田県の廃村探索3日目、女将の見送りを受けて泥湯温泉を出発したのは朝8時頃。続いて訪ねた湯沢市川原毛(かわらげ)は鉱山集落で,標高665mの深い山中にあり,須川局郵便区地図(S.38.5)には17戸とある。泥湯から川原毛地獄駐車場までは1
平成30年9月中旬、秋田県の廃村探索3日目、泥湯温泉での起床は朝6時頃。夜はよく冷えたが、露天風呂に入り、さらに宿の温泉に入っているうちに、ほどほどに温まった。温泉集落 泥湯(どろゆ)は、標高705mの深い山中にあり、須川局郵便区地図(S.38.5)には5
2018年12月21日(金)、『廃村と過疎の風景(10)』 廃校廃村を訪ねて II(甲信越東海)、リリースしました! http://www.din.or.jp/~heyaneko/haison10.html東京・三省堂神保町本店と、ジュンク堂池袋本店では、店頭に並んでいます。昨夕、国会図書館から三
平成30年9月中旬、秋田県の廃村探索2日目、この日の宿 泥湯温泉「小椋旅館」は、仁郷から栗駒山麓を回って40�劼竜�離にある。時間はやや押し気味だったが、景色がよく、交通量が少ない道を快適に走ると、温泉宿到着はほぼ予定通りの夕方5時5分となった。泥湯
平成30年9月中旬、秋田県の廃村探索2日目、3番目(この日最後)の廃校廃村 東成瀬村仁郷(にごう)は営林集落で、檜山台からさらに3�匸緡�部、標高485mの山間にある。東成瀬局郵便区地図(S.28.10)には21戸とある。檜山台と同じく成瀬ダムの建設工事が行われ
平成30年9月中旬、秋田県の廃村探索2日目、東由利原に続く2番目の廃校廃村 東成瀬村檜山台(ひやまだい)は成瀬ダム建設に伴い離村した農山村で、東成瀬村中心部から20�辧�標高430mの山間にある。東成瀬局郵便区地図(S.28.10)には13戸とある。『秋田・消え
平成30年12月中旬、愛媛県の廃校廃村探索、戦中戦後の短い期間、愛媛鉱山という鉱山・鉱山町が、中之成よりも3�劼曚鋲遒了咳�にありました。『四国鉱山誌』(1947)によると、愛媛鉱山は日本鉱業の鉱山で、主要鉱物は銅、『新居浜市史』(1962)によると、大
平成30年戌年、21度目(最終)の廃村探索、11月に続いて、愛媛県の廃村に行ってきました。訪ねた廃村は、新居浜市中之成、鹿森、土ノ峠(計3か所、初訪2か所、再訪1か所)です。今宮の聞き取り調査を兼ねた1泊2日の旅でした。探索は、愛媛在住の友人 荒獅子さ
平成30年11月上旬、愛媛県の廃村探索2日目、今宮の探索、後半は「丸一屋」を折返り点として、石鎚登拝道と今宮林道を元に戻る形で行った。高嶺小学校今宮分校は、へき地等級2級、児童数20名(S.34)、明治44年開校、昭和47年閉校。初訪時に見つけることがで
平成30年11月上旬、愛媛県の廃村探索2日目、起床は早朝5時頃。まだ暗い時間に宿を出発し、宿から3�劼虜5椶鯡椹悗靴拭�今宮は石鎚登拝道の途中にある旅籠町で、昭和44年の戸数は19戸、昭和59年に最後の1戸が離村した。林道1つめのカーブに大きな法面崩落があ
平成30年11月上旬、愛媛県の廃村探索1日目、黒瀬小学校は、へき地等級無級、児童数73名(S.34)、明治10年開校、昭和45年閉校。学校跡は黒瀬ダム1号公園の沖合150mほどの湖底にある。1号公園には人の気配はなく、探索しても離村記念碑や学校跡地の碑の類は見
平成30年11月上旬、愛媛県の廃村探索1日目、加茂からは、3か所目(最終)の新規訪問廃村 黒瀬本郷(くろせほんごう)を目指した。黒瀬本郷は、黒瀬ダム(総貯水容量3600万立方m、昭和47年竣工)建設に伴い、昭和45年に離村した。県道(12号西条久万線)から黒
平成30年11月上旬、愛媛県の廃村探索1日目、龍岡木地に続いて訪ねた鈍川木地(にぶかわきじ)は、鈍川温泉の奥にあって、昭和43年頃に離村した。ともに「木地」というぐらいだから、木地師との係わりがある集落なのだろう。旧玉川町内には「ツール・ド・玉川
平成30年11月上旬、愛媛県の廃村探索1日目、最初に訪ねた旧玉川町龍岡木地(りゅうおかきじ)は、戸数3戸(H.28)の高度過疎集落で、松山から今治、さらに島伝いに広島県尾道市へと続くR.317沿いにある。今は交通量の多い国道だが、平成8年に水ヶ峠トンネルが
平成30年11月上旬、愛媛県の廃村探索1日目、今治市(旧玉川町)龍岡木地、鈍川木地の探索の後は、西条市旧加茂村に向かい、加茂の獅子舞(荒川の獅子舞)を見学した。現在、加茂では千町と荒川で獅子舞が行われており、荒川の獅子舞は毎年11月3日(文化の日)
平成30年11月上旬、愛媛県の廃村探索2日目、石鎚保育所跡の建物にはまずまずの規模があり、外壁を追いかけているうちに「石鎚養蚕組合」という標板を見つけた。保育所以外にも公共施設が入っていた様子だ。昭和10年の周桑郡千足山村(この地域の行政村)の人
平成30年11月上旬、愛媛県の廃村探索2日目、虎杖土場(いたずりどば)では、石鎚小中学校跡とともに、この機会に行っておきたい場所があった。それは石鎚保育所跡、話によると川を渡って対岸にあり、建物が残っているという。欄干がない古い橋を渡り、崩落箇
平成30年11月上旬、愛媛県の廃村探索2日目、石鎚小中学校跡、門柱から右側の道に回り込んで、校庭へと下りてみた。石鎚小中学校は、へき地等級2級、児童数148名、生徒数53名(S.34)、明治41年開校(小)、昭和22年開校(中)、昭和52年閉校。校庭は緑に包ま
平成30年11月上旬、愛媛県の廃村探索2日目、行政村の廃村 旧石鎚村にも14年半ぶりに訪ねた。石鎚小中学校跡は、村の中心部、虎杖土場(いたずりどば)にある。14年前(平成16年5月)に訪ねたときは、校舎はなくなっていたが、県道沿いに建つ門柱をくぐって、
平成30年11月上旬、愛媛県の廃村探索2日目、今宮分校跡は林道沿いにあるので、見つけにくいわけではない。持っていた案内図に記された分校の場所から、建物を見て、「これに違いない」と確信できた。ただ、林道は校舎よりも2mほど高い位置にあって、下りるの
平成30年11月上旬、愛媛県の廃村探索2日目、平成16年4月に訪ねてたどり着くことができなかった今宮分校跡、14年半の時を経て足跡を残すことができた。校舎は残っていたが、灌木と草に覆われて全体にトーンは暗かった。中はさっぱりとしていて、廊下や教室に面
平成30年9月中旬、秋田県の廃村探索2日目、東由利原からは、佐藤晃之輔さんの故郷 旧東由利町祝沢(いわいさわ)とその隣にある廃村 浮蓋(うきふた)を目指した。途中、旧東由利町内のR.107沿いでは、秋田名物 ババヘラアイスを食することができた。ナビは東
平成30年9月中旬、秋田県の廃村探索、猿倉温泉出発は朝8時頃。夜の雨はあがり、雲がかかっているが鳥海山の頂も見える。朝一番で訪ねた旧由利町東由利原(ひがしゆりはら)は戦後開拓集落で、標高280mの高原(由利原高原)にある。前郷局郵便区地図(S.46.6)