昨日は妻の誕生日だったので、浦和のホテルで食事会をした。浦和駅で降りるのは今年初めて。というか、この前いつ降りたか記憶にない。西口正面に建っていた浦和うなこちゃんの石像が、見当たらなくなっていた。「撤去されたのか」と心配したが、伊勢丹・コル
平成31年2月上旬、道北の廃村探索、2日目、宗谷本線名寄駅発稚内行きのローカル汽車は、8時45分(定刻通り)豊清水駅に到着した。「上りの特急との列車交換のため、4分停車します」とのアナウンスがあったので、ホームに降りて、ひと息ついてみる。ローカル駅
平成31年2月上旬、道北の廃村探索、2日目は宗谷本線のローカル汽車に乗って、名寄(なよろ)− 雄信内(おのっぷない)を往復した。名寄駅発稚内行きのローカル汽車は7時54分。午前中に旭川方向へ走る普通便は5本あるのに対して、稚内方向は1本しかない。この
平成31年2月上旬、道北の廃村探索、2日目は宗谷本線のローカル汽車に乗って、名寄(なよろ)− 雄信内(おのっぷない)を往復した。これに備えて、名寄駅そばのビジネスホテル「サンフラワー」に前泊した。サンフラワーは駅の南寄りだったが、コンビニは駅の
平成31年1月中旬、南九州の廃村探索4日目、中尾小学校猪之原分校は、へき地等級2級、児童数4名(S.34)、昭和37年閉校。その前身は本校で、大正10年に樅木から猪之原へ移転。昭和21年、本校の移転とともに分校となった。「分校跡地碑はどこにあるのだろう」
平成31年1月中旬、南九州の廃村探索4日目、片内小学校跡行きを断念し、宿に戻るとkeikoはゆっくりしていたそうだったので、急きょ比較的近い未訪の農山村の廃村 猪之原(いのはる)を目指すことになった。情報は薄く、佐藤さん(宿主)も「猪之原ってどこ」と
平成31年1月中旬、南九州の廃村探索4日目(最終日)、西都市片内の民宿「かたすみ」での起床は朝7時。この日は特に予定を入れていない。まず、keikoと一ツ瀬発電所まで散歩した後に朝食をとり、続いて兄ちゃんと裏の山上にある片内小学校跡を目指して歩いた。
平成31年1月中旬、南九州の廃村探索3日目、田代八重に続いて訪ねた営林集落の廃村 尾股(おまた)も平成25年8月以来6年ぶり。国道265号は尾股へ向かう道にも「全面通行止」の標示板があって焦ったが、祝日のためか休工中で、何とか先に進むことができた。前回
平成31年1月中旬、南九州の廃村探索3日目、須木−田代八重(たしろばえ)間は、国道265号 輝嶺峠ルートが通行止のため、熊本県槻木経由ルートを走ることになった。後で調べたところ、輝嶺峠ルートは19�辧�槻木経由ルートは38�劼世辰拭B仁斌敖�槻木(つきのき
平成31年2月、道北・道東の旅、西興部、興部の廃村探索を終え、紋別への移動中、オムサロ原生花園で流氷観察をした。天気はすこぶるよく、風も弱かったが、海一面流氷ということがなかったのは残念なところだ。オムサロの売店で、家用の土産を買った。ひとつ
平成31年2月、道北・道東の廃村探索、2日目の宿泊地 ゲストハウスGA.KOPPER(ガコッパー)がある西興部(にしおこっぺ)村は、名寄と紋別の中間に位置する。人口1100人ほどの小さな村だが、ギター工場があって、コンパクトシティに取り組むなど、個性的な感じ
平成31年2月、道北の廃村探索、4日目の宿泊地 銭函(ぜにばこ)は、札幌と小樽の中間に位置し、都市圏の賑わいがある。日本海(石狩湾)に面する海辺の町でもある。朝、宿(小さな旅の博物館)で時間があったので、そばにある海岸まで歩いて出かけた。温度は
平成31年2月、道北・道東の廃村探索、3日目の宿泊地 紋別(もんべつ)は、オホーツク海沿岸、大きな漁港があり、鉄道は廃止されて久しいが、空港がある。紋別−羽田便(ANA)は日に1便。空港を結ぶ時間は1時間50分ほどだ。早朝、宿(かつうら旅館)からコンビ
平成31年2月上旬、道北の廃村探索、初日の宿泊地 名寄(なよろ)の駅前には、大きな温度計が設置されていました。マイナス20℃台を経験するのは、初めてのことでしたが、風がほとんどないこともあり、やや痛い感じはありましたが、体感温度は我慢できる範囲で
平成31年亥年、2度目の廃村探索、真冬の北海道(宗谷・オホーツク)の廃村に行ってきました(道内は4泊5日)。訪ねた廃村は、道北(宗谷管内)幌延町雄信内、(上川管内)中川町神路、道東(オホーツク管内)西興部村忍路子開拓、中興部、興部町オタッペ、紋
平成31年1月中旬、鹿児島県の廃村探索3日目、赤松からは、2番目の初訪 農山村(営林関係)の廃村 木浦木(きうらぎ)へと向かった。赤松と木浦木を結ぶ木浦木林道には、10�勸幣紊離澄璽箸�あり、その走りごたえは記憶に残るものだった。住宅地図から調べた木
平成31年1月中旬、鹿児島県の廃村探索3日目、鉄山からは、国道で小林市街をかすめて、1番目の初訪 営林集落の廃村 赤松(あかまつ)を目指した。五万地形図、郵便区全図には赤松の記述はまったくないが、直前の調べで、岩瀬川の向こうに戸数20戸(S.31)の官
平成31年1月中旬、鹿児島県の廃村探索3日目、宿(妙見温泉きらく温泉)での起床は5時半頃。まだ暗い中、露天風呂を楽しむ。妻の兄運転のレンタカーで、宿近くのJR嘉例川駅まで走り、再びむっちーさんと合流。クルマ2台で走る川内川沿いの国道は、霧に包まれて
鹿児島に来るたびに、「桜島って、すごい山だなあ」と思う。噴煙を上げている山のすぐそばにある大きな街は日本では鹿児島市が唯一無二だ。災害の不安要素いっぱいの活火山なのに、見ていると心穏やかになるのはなぜだろう。その理由はどうでもよい。理由や理
平成31年1月中旬、鹿児島県の廃村探索1日目、農山村の廃村 湧水町(旧栗野町)国見(くにみ)は平成25年3月以来6年ぶり。分校跡はT字路の幸田寄りにあることを確認している。苔むした法面を右側から上がると灌木が茂る平地があって、分校跡地の碑が見つかっ
平成30年12月、愛媛県の廃村探索、旅2日目、土ノ峠からの帰路は比較的スムーズに歩くことができ、1時間少しでマウントピア別子の駐車場まで戻った。マウントピア別子のレストランで荒獅子さんと昼食休みを取っていると、天気は探索の終わりを待っていたかのよ
平成30年12月、愛媛県の廃村探索、旅2日目、竹屋敷から小さな沢を3つ越えて歩くこと約45分、小高い場所に神社が見つかり、土ノ峠到着を確信した。中萩小学校大永分校は、へき地等級2級、児童数5名(S.34)、明治40年開校、昭和43年閉校。土ノ峠は戸数4戸(S.3