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2008年09月24日00:25

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台湾旅行記(4)台南4・安平古堡

安平は台南の市街地から少し離れて海に突き出した地域です。ここにある遺跡はまず安平古堡です。古堡とは昔の城塞跡です。
17世紀、オランダ人が台湾へやってきたとき、この港が良港なのでここを拠点に定め、城塞を築きました。そしてゼーランディア城と名づけました。しかし後に鄭成功に攻め落とされました。

実は学生の時、中国史の本を読んでいたら鄭成功が台湾を攻撃したときのことが書いてあって、そこで「ゼーランディア城」という言葉に出会いました。中国史で突然カタカナの固有名詞が出てきて、しかも「ゼーランディア」という響きがなにやら不思議なイメージをもたらし、この名前は心に深く残ったのです。
しかしそれは遠い歴史の彼方の世界の名前でした。
今回台湾へ行くのに、どこへ行こうか色々調べていたら、台南に安平という所があってそこはゼーランディア城があった場所だということを知りました。歴史の彼方の遠い世界だと思っていた「ゼーランディア城」がここにある…と知ると、「絶対行く!」と思って台南行きを決めたのです。

さて、安平古堡は赤い煉瓦の台形の土台になっています。その上に「原荷蘭城洋楼古蹟記念館」があります。「荷蘭」はオランダのことです。ここにはゼーランディア城の模型や当時の資料が展示されています。そのそばにそびえている展望台は高いだけでチャチな作りです。ただ、周辺を見渡すのには便利です。土台の上には写真のように大砲がいくつか設置されています。また、鄭成功の像も立っています。
そして見取り図を見ていたら…ゼーランディア城の城壁が部分的に残っていることがわかったのです!写真の半円の部分がそうです。また、携帯写真に撮り損ねましたが、かなり大きな煉瓦の塀が残っていました。ガジュマルにあちこち覆われて、端の方が崩れています。しかし歴史の彼方の幻のような存在だったゼーランディア城が目の前に存在しているのです。この壁を見ながら、「私は今ゼーランディア城の前にいるんだ…」としみじみ感慨に浸りました。

しかしオランダ人の支配も明の廷臣・鄭成功の攻撃によって終わり、鄭成功はここを「安平鎮」と名づけました。そして鄭成功とその息子に続く台湾統治の時代が始まりますが、それもつかの間、大陸の北の方からやってきた満州族の清朝の征服の手が台湾にも及ぶのです。
このあたりはもともと現地語でTayowanと呼ばれていたそうです。それを漢字でまず「大員」と書き、後に「台湾」と書くようになりました。そしてここの港は「台湾港」と呼ばれるようになりました。オランダ人、鄭成功、はそれぞれ台南に統治の中心を置き、台湾港は台湾への重要な窓口となりました。それで「台湾」がこの島全体を指すようになったのです。ですからここは「台湾」発祥の地でもあるのです。

清の時代、アヘン戦争で開国してから台湾でも外国の貿易会社が入るようになり、安平に外国の商社がいくつか作られました。しかし日清戦争で日本が勝って台湾が日本の統治下に入りますと、貿易は日本が中心に行うようになり外国の貿易会社は撤退していきました。そして清代半ばから港に土砂が流れ込んで地形が変わっていき、大きな船の停泊が難しくなっていきました。さらに日本統治時代は高雄が主要な港として使われるようになり、台南の貿易港としての地位は下がっていきました。ですから台南は現在では「古都」と形容されるようになりました。

安平古堡でゼーランディア城の幻想にどっぷり浸った跡は、周辺に残る外国商館の跡を訪ねます。
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