■「ビョーキ」
▼昨夜も、妻に叱られる。
「あんた、何時と思てんねン」
「もう、絶対パソコン壊してやる!」
「ウソと思とうやろ。ウソ違うデ!」
「目〜さめたら、壊れとるから!」
そそくさと寝る。
▼妻は、夜回りのように
いったん寝て、トイレにたったとき
私の部屋をのぞく。
私は、食事のあと、いったん寝て
起きだす。
▼妻は、私の体を心配しているのである。
けっして嫌がらせではない。
私は、そのことはよく承知している。
体のことは、自分でも考えているつもり。
しかし、妻は認めない。
「なんぼ言うても、わからん!」
「もう、パソコンつぶすしかない!」
▼この攻防は、まだまだ続きそう。
ある日、目が覚めたら、ほんとに
パソコンが破壊されているかもしれない・・・。
きょう、妻はまだ寝ている。
■これも「ビョーキ」
▼昨日は、3連休の最後の日。北須磨歯科の予約日。
いつものとおり、歯医者の帰りに「カフェ・グレイス」に寄る。
きょうは、「本」を持ってきた。
清水義範(著)『「大人」がいない…』 (ちくま新書)
これを読む。
野村一夫(著)『未熟者の天下―大人はどこに消えた?』 (青春出版社)
の続きで読んでいる。こちらは「大人のすすめ」のようである。
どちらかと言うと、「大人向け」でなく、「小人向け」に
やさしく、「大人になろうよ」と書いている。
▼読み終わって、まだ読みかけやら、パラパラ、ページをめくった
だけの「本」が家にいっぱいあるのに、本屋に寄った。
▼これが、まずかった。
長男から「お年玉」をもらったり、いよいよ「年金」が支給される
ということで、気が大きくなったのか、あれこれ買ってしまった。
普段なら、買わない「本」を買った。
たとえば、「トンデモ本」的な本や、時勢を反映するような本を
買った。
買うまでもない「本」を買った。
でも、私はこの手の「本」が嫌いではない。
時代が読めて、楽しい。
▼それこそ、パラパラとページをめくるだけの「本」もある。
30分か、そこら、拾い読みするだけで終わる「本」もある。
ひどいときは、ページを開かず、そのままになる「本」もある。
だったら、何で買うの?、ということになるのだが、
猫にマタタビ のようなもので、そのときどきに、私を誘引する
媚薬の香りが「本」にはあり、それに難なくはまるのである。
▼だから、お金があっても決して買わない「本」と、お金がなくても
つい買ってしまう「本」とがある。その両者が入り混じることはない。
ときとして、問題なのは、買いたい「本」を買ったのか、
それとも、買いたいのを辛抱して買わなかったのか、それを忘れて
同じ「本」を二冊買うことである。
■案内
・
日記「総目次」 −テーマ別−
・
「Home」&「更新記録」
ログインしてコメントを確認・投稿する