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2008年01月09日00:38

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続きのお話2 第6章

 第6章 沼地


「では、あなたがたはゼリアの街を滅ぼした魔物が近くに棲み付いていないか確かめて下さるのか」
 村長がいった。初老の押し出しのいい、しかし温厚そうな人物だった。

「我らは北の王国からこの地へ渡った魔物の群れを追っております。これまで大きな集落が滅ぼされた例はゼリアの街しかなく、すでに1年もたっているから群れそのものが近くにいることはありますまい。それでも一部の魔物が群れを離れて棲み付いていることもあるやもしれず、我らはそれを確かめて対策を講じるのを使命としております。ラーダの神の御心のままに」
 グロスの説明に村長は感謝の目を向けた。

「実は他の村の者がここから南東にある沼地で大きな蛇のようなものが泳いでいるのを見かけたという話がある。ずいぶん遠くからも見える大きさで、それも頭がいくつもあったように見えたとか。馬を飛ばしても往復でほとんど一日かかるような場所だが、ゼリアの街のことがあるので正直不安ではあったのだ。確かめて下さるなら旅の邪魔にならぬ食料をお分けしたい」
 三人はまだ東の山脈の稜線からさほど離れていない太陽のもと馬に鞭を当てた。村長とローザを先頭に村人たちが見送った。


 小川の水を引いた小さな村を出ると、最初のうちは行けども行けども不毛の荒野だった。しかし砂漠を背にひたすら駆けてゆくにつれ、だんだん様子が変わってきた。丈の低い群草に背の低い潅木が入り混じるようになり、しだいに空気にも潤いを感じるようになった。はるか東の山脈が目で見ても近づいたのがわかるようになったときには、あたりの景色は山脈からのいくつかの流れが淀んだ巨大な溜りに一変していた。溜りの水には何か含まれているらしく腐臭めいたものがただよっていた。人里がこの近くにない理由が悟られた。


 目的地にたどり着いたときには、すでに太陽は真上に登りつめていた。

 広大な沼地だった。道はとうにとだえ、馬を降りて歩く足元はじくじくとぬかるんでいた。茶灰色の泥の岸と濁った沼の境界は定かでなかった。魔物の目から身を隠す魔力のかけられた隠形のマントをはおった三人も灰色の風景に溶け込んでいた。
 淡い光を放つ宝玉を覗き込んでいたグロスが無言で指差した。てっぺんが平らな大岩があった。彼らはその上によじ登り、沼地を見回した。


 南の岸辺に茂る葦原を背に豚のような顔の亜人たちが泥を漁り大きな蛭や長蟲を捕まえていた。やがて獲物を両手に抱え込んだ亜人たちは葦原を掻き分け姿を消した。人間には有害でしかない蟲ばかりが蠢くこの泥沼も、彼らには絶好の餌場なのだった。

 沼の真中で水の音がした。見ると大蛇が鈍色の胴をぬめらせて水面を渡っていた。蠢く首のうち2つが巨大な魚を咥えていた。大蛇はしばらく水面を巡ったあと、再び水中に姿を消した。大きな波紋が三人のいる大岩のそばの岸に届くまで、かなりの時間がかかった。

「この地に棲みついたのは彼らだけのようだ」
 宝玉から顔を上げたグロスがささやいた。
「当分は餌不足で出てくることはないだろう。少なくとも大蛇は自分から沼地を離れたりはしないはずだ。亜人の方は数がよほど増えればこの地を離れるものも出るかもしれないが」

「大蛇がいればそこまで数が増えることはないのでは?」
「俺もそう思う」
 二人の言葉にグロスもうなづいた。
「こちらから踏み込んだりしなければ問題はなさそうだ。こんな沼地ならそうそう近づく者もあるまい。猟に夢中で迷い込んだりしないよう警告しておくくらいだろう」


 また水の音がした。大蛇が再び水面を蛇行していた。その姿は沼地の一部のように風景になじんでいた。人間ほどもある怪魚を食らう大蛇の巨体も広大なこの沼では目立たなかった。広い水面に大きな曲線を悠然と描く大蛇の動きにはゆとりがあり、奇妙な美しささえ感じられた。彼らは雄大さと優美さをそなえた水面の舞に思わず見とれた。
 人間と向き合えば怪物としかいえぬ存在のはずだった。ゼリアの街に暴れ込み住人たちを貪った化け物のはずだった。にもかかわらず、眼前でのびやかに生を謳歌する大蛇の姿にアラードたちは生命の大きな摂理を感じ取った。その摂理の下では人間も大蛇も変わるところはなかった。

 そして人の住めない広大な沼地を占有する大蛇や亜人たちは、この世界が人間だけのものではないことをその存在自体で示しているかのようだった。かつてアルデガンが破られたとき、洞窟の怪物を守護していた金色の翼の魔物が思念の声で叫んだ宣告が、なぜか彼らの脳裏によみがえった。

>人間たちよ。汝らの種族はいまだこの世界を支配する資格を持たぬと知るがいい<

 あのとき彼らはその言葉を人間の敗北の宣言であると思った。だが、その同じ言葉がまったく違う意味のものとして聞こえた。アルデガンにおいては敵の勝鬨としか受け取れなかった言葉が、いまや高みから見た一つの真実を告げるものとして脳裏に響くのだった。


「戻るぞ」
 ボルドフの声を合図に彼らは帰路についた。



 馬での長い帰路の間、アラードは考え続けた。あるべき生き方から離れることを強いられたものが魔物となり怪物となるのではないだろうかと。それが人であれ多頭の大蛇であれ。
 そして亜人も大蛇も棲むべき場所へ還された。本来の生き方ができる所へ。人としての生き方を永遠に奪われた少女の手で。

 気高い行為に思えた。その身の悲惨を思えばなおさらだった。たとえ人間に向けられたものでなくても、人間を殺めるしかない宿業に落ちた者が魔物になしたことであっても、それは我が身にもはや望めぬ平穏を他の存在に願う心に支えられ、苦難の果てになし遂げられた行いに他ならなかったから。

 昨夜の煩悶をアラードは恥じた。リアの魂にいまだ届かぬ己を恥じた。



 ドーラ村の近くまで戻った頃には日は赤く染まり始めていた。村はこの小さな丘のむこうだった。三人は馬の歩みを止めて一息ついた。

「亜人たちが繁殖して大群になるようなことはないだろう。将来村に近づくことがあっても、数が少なければ柵を補強して夜には火を絶やさないようにするだけで大丈夫だと私は思う」
「そもそも村に近づくなんてどれだけ先の話になるか。俺たちの話を忘れないようにしてもらうほうがよほど大変だろうな」

 二人の師の話を耳にしながら、アラードは丘の彼方に沈む太陽が色濃く染まりゆく荘厳な光景に目を奪われていた。


 突然、赤い太陽の真中に黒いものが一筋立ち昇った。
「あれは!」
 我に返ったアラードが思わず叫んだとたん、新たに灰色の筋が立ち昇った。さらにもう1つ。

「煙だ!」「村の方じゃないか!」
 二人の師の声を背にアラードは馬に飛び乗り駆け出した。二人もたちまち追ってきた。丘を登りきった三人は目をみはった。

 村から火の手が上がっていた。
 彼らは下り坂をまっしぐらに駆け下りた。

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