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2008年01月10日00:13

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続きのお話2 第7章

 第7章 燃え上がる村


 夕方近く、ドーラ村に八人の騎馬の男たちが来た。


 アラードたちの戻るのを迎えるためローザが村長と村の入り口近くの広場に出たところへ彼らは馬で乗りつけた。男たちは口もきかずにくつわをそろえて停止した。
 汚れた装備や異様な顔つきが尋常ならざる雰囲気を醸し出していた。どんな旅を続ければこうなるのか想像もつかなかった。

 温厚な村長は彼らに歩み寄り、声をかけた。
「遠くから来られたか。この村にいかなるご用ですかな?」

「……兵を出しただろう」
 ひどくかすれた、飢え渇いたような声だった。
 その声を聞いたとたん、ローザの背に悪寒が走った。

 いわれた言葉の意味がわからず立ち尽くしたらしい村長の背がローザの眼前で真っ赤に破裂し、血濡れた刃が突き出た。
「ひっ、人殺しーっ!」
 金切り声をあげたローザへ別の男が馬を駆った。大剣の一旋が新たな血煙を巻き上げた。

 彼らはそのまま散開するとローザの悲鳴を聞きつけて出てきた村人たちに襲いかかった。外に出た者をことごとく斬ると家々に火を放ち、焼け出される者をも片端から斬殺した。斬られた者の悲鳴や炎に巻かれた者の絶叫があちこちで上がった。

 もはや地獄図だった。あの日彼らの脳裏に焼きつき魂を蝕み続ける光景そのものだった。狂える心が決壊し内なる現実が外界にあふれ出たものだった。彼らにとってそれは歪みの矯正だった。己が魂に食い込んだ光景こそが唯一の現実である以上、外界の姿が違っていてはならなかったのだから。



 馬から飛び降りた三人の目にまず飛び込んできたのは、入り口近くに倒れている村長とローザの無残な骸だった。しかも広場のあちこちに村人たちが地面を赤黒く染めて折り重なっていた。
「これは……っ」「なんという!」

 アラードとグロスが呆然とする間、ボルドフはすばやく周囲の気配を探った。間近ではなかったが遠くもなかった。しかも幾人も。蹄の轟きまで!
「ざっと十人近く。馬もいるらしい。気をつけろ!」
 その声に重なり離れたところから悲鳴が続けざまにあがった。右からも左からも。一瞬、三人は対処に迷った。



 村の奥の占師の家にまで悲鳴が届いた。近くでもまた。夕餉の支度にかかろうとしていたリーザは驚いて戸口に向かった。
 背の高い男がいきなり行く手を遮った。
「だ、誰……」いいかけた言葉がとぎれた。

 男は血みどろだった。抜き身の刃は鮮血をしたたらせ、赤茶けた鎧や顔にまで返り血を浴びていた。
 血走りぎらつく目が彼女をねめつけた。
 目を見開いたリーザが恐怖に凍りついた。

「……ミラの首はどこだ」
 かすれた恐ろしい呻きだった。
 少女の喉からひっと裏返った声が出た。

「なぜ、どこにも見つからない……」
 リーザのわななく口は言葉を返せなかった。
 我知らずいやいやをするように首が動いた。

「おのれレドラスの異人になどっ!」
 狂気の渦巻く男の目が憎悪に燃えあがった。
 リーザの喉からついに悲鳴がほとばしった。



 村の奥から悲鳴が聞こえた。娘の声だった。
「リーザっ!」
 アラードがその方向を向いたとたん、声はとぎれた。
 アラードは一目散に悲鳴のした方へ駆け出した。
「待て、離れるなっ」ボルドフが叫んだとたん、騎馬の男たちが左右から走り出てボルドフたちの行く手に割り込んだ。

 七人いた。誰もが返り血で真っ赤だった。だが汚れ果てた鎧の紋章はノールドのものだった。しかも見覚えのある顔が混じっていた。

「ラドゥ、それにタマーシュ……」
 グロスが信じられない面持ちで呻いた。
 それは、アルデガンで魔物相手に剣を振るっていた者の変わり果てた姿だった。

「堕ちたか、きさまらっ!」ボルドフが一喝した。

 血まみれの男たちは言葉も返さず、血塗られた剣を構えた。
 ぶつかってくるような凄まじい殺気に後じさったグロスの横でボルドフが低く唸った。

「……もう、こいつらに言葉は届かん」
「そんな……」
 すがるようなグロスのまなざしには目をくれず油断なく相手を睨みつけながら、しかしボルドフは続けた。

「戦になるとこんなやつらが出るんだ。戦禍の惨劇に心砕かれ、地獄の光景に呑まれたあげくに同じ惨劇を繰り返すしかなくなるやつらが」

 声に沈痛さをにじませながらも、ボルドフもまた大剣を構えて数歩前に出た。
「死にたくなかったら全力で戦え!」


 敵が動いた。二騎が左右から馬を駆った。大きく振り上げられた二本の剣がボルドフめがけ振り降ろされた。
 鋼の噛み合う音とともにボルドフが右の敵の剣を弾き返した。背後を襲った左の敵の剣が届く寸前グロスの気弾が馬に命中し、乗り手は棒立ちになった馬から振り落とされた。

 だが、男は着地と同時にグロスめがけて走った。ひるむグロスめがけ赤黒い剣が振り上げられた。

「グロスっ!」ボルドフが追いすがり男を斬り倒した。だが彼も背後から斬りつけられた。体をひねったが避けきれず、幅広い背から血しぶきがあがった。
 痛手に耐えて放たれた突きが敵の胸を貫いた。だがボルドフもがくりと片膝を落とした。

「ボルドフ!」グロスが駆け寄ろうとしたとたん、残った五騎が一勢に突撃した。

 グロスの顔がひきつり足が止まった。一瞬の逡巡の後、ついに彼は悲鳴とまがう声で唱えたくなかった呪文を唱えた。
「ラーダの神よ! 許したまえっ」
 結印とともに炸裂した業火が人も馬もまるごと呑み込んだ。



 占師の家に走り込もうとしたアラードの足が止まった。
 日が落ちて暗がりと化した戸口に倒れている者の脚が見えた。血の匂いが鼻を突いた。

「リーザ……」
 ひどくかすれた声だった。自分の声とは思えなかった。
 戸口に歩み寄る足どりがふらついた。

 近づくにつれ、脚から上が目に入ってきた。おののきながらも視線が伝った。ぬらりと光る地面に仰向けに倒れた少女の腰から胴へ、そして肩……。

 そこから上が、無かった。

 室内の闇に溶けたように失せていた。

 つい昨日、夕闇の中で自分を責めた思いつめた顔が。
 リアと同じ顔、幼い頃から身近に見ていたあの顔が。

 決して失われてはならなかった人としての生が、命が。

 滅ぼされ焼け落ちたあの村の死体の山の悪夢が、あの時は想像もしなかった意味を帯びて襲ってきた。
 呑まれそうになった瞬間、家の闇の中でごとりと音がした。
「これも違う……」ひりつくような呻きが聞こえた。
 どこか耳覚えのある声が、自分以上に嗄れ果てて。

 ひきずるような足音がして、おぼろな人影が戸口に立った。
 雲が月を隠しているため、顔形も定かでなかった。

 男の右手の剣先が下を向き、滴がぼたりと落ちた。
 アラードの魂が震撼した。それは原罪の徴だった。
 刃に流した自分の血をリアに飲ませたあのときの。

 人影の顔がこちらを向いた。異様な殺気が放たれた。
 左手がつかんだ丸いものを捨て、大剣の柄に飛んだ。
 それを見たアラードの張りつめた神経がぶつりと切れた。

 同時に放たれた叫びがぶつかりぎざぎざの狂声と化した。
 二つの影が風を巻き走った。
 稲妻のごとき二本の刃が食い込み、突きぬけた。



「……すまない、私の覚悟が足りなかったばかりに」
 癒しの呪文をかけ終えたグロスが呻いた。
「仕方ない。おまえは人間と戦ったことがなかったんだから」
 応えたボルドフの顔が癒え切らぬ深手の痛みに歪んだ。

 グロスの顔が黒い煙を上げる無残な残骸に向いた。衝撃と動揺から覚めやらぬ様子だった。

 見かねたボルドフが口を開きかけた瞬間、村の奥から狂おしい絶叫が聞こえた。
「アラード?」「しまった!」

 ボルドフは声のした方へと傷をおして走った。
 はじかれたようにグロスもあとを追った。



 雲間から出た月に、男の荒み果てた顔が照らされた。
 左肩の激痛に膝を屈したアラードの目が見開かれた。
「グラン、そん、な……っ」
 己の剣が貫いていた。
 アルデガンで怪物たちと戦っていた先輩の胸板を。

「……どこへいった。ミラの、首……っ」
 無限の恨みと喪失感に染まった呻きに続き、血が吐かれた。
 それを聞いた瞬間、わかってしまった。
 彼も村を焼かれ、肉親を惨殺されたと。

 グランの長身がゆっくりと大地に崩れた。

 アラードは悟った。たったいま、自分はグランの落ちた奈落の縁にいたと。堕ちた者の狂気をかいま見たのだと。

 ……堕ちるということなのか、これが……。

 かいま見た奈落の恐ろしさゆえか、それとも失血で体温が奪われたためなのか、左肩の痛みが冷たい、凍てつくものにじわりと変じた。
 目の前が暗くなった。遠くで誰かが叫んだような気がしたのを最後に、アラードの意識は闇に閉ざされた。

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