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2024年02月18日17:48

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「鐘」の補足および24の調性すべてを使った曲集あれこれ(MUSE2024年2月号)

 今回はラフマニノフの合唱交響曲「鐘」への補足やショパンの「24の前奏曲」についての話題から始めたいと思います。
 ラフマニノフの「鐘」というと彼のピアノ曲を代表する小品として全く同じ俗称の曲もあるわけですが、改めてこのピアノ曲を聴いてみると、これもやはり晴朗というよりは重くて暗い音色の鐘のイメージで、日本人である我々はついお寺の釣り鐘のような巨大さゆえに音色の低い鐘の音をイメージしたくなります。でもポーの原詩の日本語訳を思い出すと、4部のうち最初の詩に登場するものは赤ん坊のゆりかごについている「鐘」ですから、我々がイメージするのは「鐘」というより「鈴」というべきもので、現に僕が初めてポーの詩に接した新潮文庫の阿部保さんの訳では「鈴(りん)の歌」との訳題のもと4部の全てを「鈴」の訳語で統一しています。これは明らかに原詩が「ベル」の語で統一されていたのを忠実に訳そうとした意図に由来する判断ゆえのものなのでしょうし、鈴をりんと読ませているのもベルという語の音感を原詩が利用していることを日本語で読む読者にも知ってほしいと思ったからに相違ないのは間違いないと思います。ただ米語では「ベル」の一語で相当大きな鐘までカバーしているとしても、日本語の鈴は明らかにかなり小さなものまでしかカバーしておらず、火の見櫓の槌で叩く鐘になると我々の感覚であれを鈴と呼ぶのはいささか無理があるのも事実です。そんな我々の感覚に合わせた訳が一天社古典新訳文庫でのeureka0313さんの訳で、2021年12月初版発行ですから3年目に入ったばかりの水も滴りそうな最新の訳です。こちらは第1部だけが「鈴」であとの3部はすべて「鐘」 結婚式の鐘も我々がイメージするのは教会の鐘楼に取り付けられた鐘ですから、日本語に翻訳する以上は明らかにこちらの方が自然ではあります。ただし1948年11月が初版という阿部さんが目指したできるだけ原詩の特徴に忠実にという境地からはそれだけ離れ、原詩の特徴のうち、いくつかの再現を諦めたものになっているのも確かです。ちなみに阿部さんによるあとがきでは「私がポーの詩に興味を覚えたのはもう十幾年の昔である」と述べられているように戦前の話になるわけで、この文庫の末尾には1935年に訳された「詩の真の目的」というポー自身の手になる詩論の訳も納められているのです。
 こんなことを書き連ねてきたのは、母国語ではない外国語の文学作品の翻訳という行為にどこか音楽作品を演奏するために楽譜を読み込む作業に通じるものがあるように感じるからです。異国の言葉を我々の言葉に置き換える困難、それを前にしてそれぞれの訳者がいかなる立場で翻訳に挑んでゆくかというその姿には、楽譜という音楽の実像からはいっそう制約された手がかりでしかないものにそれでも託された曲の在り方をなんとか現実の音楽として再現せんとする、困難の度合いでは勝るとも劣らぬ挑戦との類似を感じずにいられないのです。それゆえその立場の違いの数だけ、そしてそれがなされた時代の影響との掛け算の結果だけのバリエーションがそこには生まれ、全てがなにかを満たせてはいる反面なにかが欠けているという点ではどれもが圧倒的に抜きんでいるわけではない天空の銀河のごとき姿を大空に描いている。それが人の世の芸術というものなのだと痛感するばかりです。
 そんな観点で文学の世界と音楽の世界を見比べたとき、どうも文学の世界では原文にできるだけ忠実な訳という立場が戦前には確立していたらしいのに対し、音楽の世界では70年代も間近になってからという時期になったのはやはり言葉どうしの変換作業に比べより難易度が高い領域だからというのも一因ではないかと思いますし、少なくとも欧州ではいささか放埒に過ぎた巨匠様式への後の世代からの批判があったのも大きいのでしょう。けれど文学の世界では原典重視が早く始まった分だけ、現在では原典重視にも限界があるという立場でより日本語として自然な訳文の模索が生じているように、音楽の世界でもいつか揺り戻しが始まり忠実さと自然さの妥協点を探る試みは振り子のごとく揺らぎつつ続いてゆくのだと思います(ただ自分の年齢を考えると、音楽の領域で自然さへの本格的な揺り戻しを僕自身が生きているうちに目撃できるかは心許なくなりましたが)

 ショパンの「24の前奏曲集」について最初に述べたいのは、24という数字がなにを意味しているかです。これは24個ある調性を示すもので、全て異なる調性で曲を書くと24曲になるということを示しているのです。いわゆる名曲中でこのタイトルを持つのはまずバッハで、次がショパン、その次がラフマニノフ、そしてショスタコーヴィチと続きます(なお僕の手元には加羽沢美濃が作曲し自演したCDもあります)異なる24の調性による曲を1曲づつ書いて1つの組曲にまとめるという発想はいかにもバッハらしいもので、そういう曲集を2作も編んだのはさすがに得意な領域だったともいえそうです。そんなバッハによる2巻の平均率クラヴィーア曲集をショパンの前奏曲集と比較すると大きな違いが2つあります。まずバッハの曲は明も暗も均等に配され偏ることはありませんが(これは既存の曲をこれら2巻に転用した例も多いからです)ショパンは同時期の葬送行進曲を第3楽章に据えたソナタ二番と同様に暗さを主体としていますし、もう1つは各曲が非常に短いこと。1分に満たない曲もかなりあるのが目を引きます。後にウェーベルンが管弦楽の領域で非常に短い規模の中に古典的な形式の要素を圧縮しつつ作曲したことをピアノ独奏曲の分野で先んじたのがショパンだったのです。
 この原稿を書いているうちに加羽沢美濃の「24のプレリュード」自作自演CDが棚の奥から出てきたので、久々にショパンやラフマニノフ、スクリャービン、ショスタコーヴィチのピアノ版やバッハのチェンバロ版ともども聴いてみました。加羽沢の作品の最大の特徴は24曲すべてに標題がついていること。イメージを手がかりに聴いていくことができるので曲数が多くても親しみやすいのは間違いなく、聴き手を置いてきぼりにしないのは長所です。これらの中で唯一の21世紀に書かれた作品で、その意味ではバリバリの現代音楽なのですが、黙ってこれを聴かされたらいわゆる「現代音楽」をイメージする人は皆無でしょう。ロマン派末期の袋小路を打破する運動として始まった「現代音楽」ですが、いつまでもそこに留まっていたわけでは決してなく、書き手それぞれが自分の音楽のありかたを模索して己の信じる音楽の道を歩んでいるという、あたりまえの光景が広がっているのを実感させてくれるのが何より嬉しい。そんな手応えを感じさせる透明な叙情に魅せられる曲集です。
 そんな加羽沢とは対照的なのがショスタコーヴィチ。24の調性全てに前奏曲とフーガを1曲ずつ書いているので曲数は48曲ありますし、演奏時間も2時間半から3時間近くにもなるという堂々たる大作です。あえてバロック風の厳格な形式で密度の濃い音楽を目指した「現代音楽」らしい音楽ですが、個々の曲が短いことにも助けられ晦渋さを感じさせることはなく、温度感は低いものの硬質の叙情と呼ぶべきものが確かに感じられるのはさすがショスタコーヴィチというべきなのでしょう。1951年、当時鉄のヴェールの彼方にいたショスタコーヴィチ45歳の作と思えば西側風の露骨な現代音楽を自由に書けたはずもなく、伝統的な形式は粛正を避けるためにも必須だったのかもしれないとも思いますし、これだけの大作になったのも権力側からそれを求められていたからではとも感じたりします(ただそのあたりについては伝記的な観点からの裏付けが全く取れていない推測でしかないのですが)
 ラフマニノフの24の前奏曲はショパンや加羽沢、スクリャービンやショスタコーヴィチたちのように初めから24曲からなる組曲として構想されたものではなく、最初期の作にして代表作でもある「幻想小品集」の第2曲「鐘」(1892年)から1903年完成の「10曲の前奏曲」そして1910年完成の「13曲の前奏曲」に至って24曲が出揃うわけですが、少なくとも「10曲の前奏曲」の時点で「鐘」を含む11曲に調性の重複が避けられていることを思えば、この時点でラフマニノフの脳裏にもこれらを最終的に24の前奏曲という構想に纏め上げることも可能かも? という思いがきざしていたのかもしれないと感じます。ともあれこれも出揃ってみれば曲数が倍あるショスタコーヴィチほどではないにせよ、LP時代には1枚に収まりきらない規模の大作としてやはり様々な機会に書かれた曲を結果的に2つの曲集として纏め上げたバッハのあとを継ぐものとして評価されているのは完成に至るまでのどこかでスタイルなどがちぐはぐにならないような配慮が働いた結果もあったのではと感じます。古風な形式を隠れ蓑にしつつ抽象度を高めていったショスタコーヴィチと並べるといかにもラフマニノフらしいロマンの潤いに溢れた音楽になっているのは、最終的にラフマニノフにとっての音楽がそういうものだったからこそ、長い期間を経てまとめられた24曲に確たる統一感がもたらせたといってもいいのかもしれません。
 スクリャービンの「24の前奏曲」はラフマニノフの「鐘」よりは4年後の1896年の作ですが、彼は当時24歳という若さでした。なので後年のような大胆な作風からはまだまだ遠かったわけですが、全24曲でほぼ30分というショパン以上に簡潔な規模にまとめられているのはスクリャービンの脳裏にショパンへの対抗意識めいたものもあったのかも? と少し思わないでもないところで、またこの作品が当時のロシア国内ではどのくらい注目され、それがはたしてラフマニノフにもなんらかの刺激をもたらしたのか否かなど、スクリャービンの生涯に関する知識が全くない僕はそれをいいことに勝手な想像をただ楽しんでいるばかりです。まだまだ穏当な作風の若きスクリャービンの、けれど同じピアノを主要な領域とする先人への様々な思いもあったのではと想像をたくましくしつつ聴いてみるのはとても楽しく、また9曲書かれたソナタも最も長い1番でさえ20分に満たない短さを思えば、より簡潔にというのはピアノを書く作曲家としての彼スクリャービンにとってどんな意味があったのだろうと思いもするのです。なにしろ彼は管弦楽の分野では5曲もの、それも1番から3番にかけてはベートーヴェンの「英雄」並みの規模を持つ曲もものしているわけですから(そこから急に「法悦の歌」や「プロメテウス」の約20分という規模に圧縮しつつより大胆な作風へ移行した理由も、少なくともソナタではある時期急に短くなるという現象が見られない分これまた謎ではあるのですが)

 なお、加羽沢美濃さんの作品はナクソス・ミュージック・ライブラリに室内楽に分類できる曲が4曲登録されていますが「24のプレリュード」は登録されておらず今も自演CDがアマゾンや楽天で中古のみならず新品も入手できる状況なので、CD番号もリストに記しておきます。僕が発売時点で買ったのと同じ番号のままですが、発売時本体価格(税抜き)2800円だったものが税込みで2500円弱と売値で500円ほど下がっています。



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