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2005年12月12日02:03

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●そのとき、私は・・・( 4)/■オリンピックとベトナム

■バルコニーで

 ・東京オリンピックを「寮」のおじいちゃんの居間で
  見せてもらった。みんなで見た。

  おじいちゃんの部屋は一階の角部屋で、四畳半ではなく、
  普通の家庭の「居間」のように造られていて、床の間が
  あり、その横に観音開きの木の扉のついたカラーテレビが
  あった。

 ・「寮」には門限があった。それを決めたのは、おじいちゃんで
  マージャンも禁止だった。おじいちゃんの「居間」が私たちの
  「寮」にあるのは、「本宅」での処遇がおじいちゃんには気に入らない
  こともあったようだが、それよりも、おじいちゃんは「舎監」のように
  私たちの生活を点検・監督するのが自分の義務のように考えて
  いたからだ。

  夜、11時になると、おじいちゃんはスリッパをやや引きずりながら
  各部屋を見回るために、廊下をゆつくり歩いた。
  門限は11時、消灯も11時が目安だった。
  勉強でスタンドの明かりが点いているのは許されたが、
  おしゃべりで遊ぶのはダメだった。
 
  二階だった私たちは、おじいちゃんのスリッパの足音がすると、
  電気を消した。黙って息を殺して、おじいちゃんの通り過ぎるのを
  待った。おじいちゃんが「居間」にもどり、床につく頃
  私たちは、くすくす笑いながら少し声を落としておしゃべりを
  した。

  ときに、おじいちゃんはノックもなしに、無断で突然、
  私たちの部屋を開けた。「どうだね、がんばってるか」と
  様子を覗いた。


  しかし、オリンピックの期間中だけは違った。おじいちゃんの居間で
  夜遅くまで、観戦した。
  おじいちゃんも、眠そうにしていたが、「きょうはこれまで」の声が
  かかるまで、テレビを観た。


 ・そして、一年目の秋も深まり、最初の冬を迎える頃の日曜日、
  私たちは食堂の上のバルコニーで布団を干し、私は戯れに
  長椅子に、清水と吉田を背中合わせに座らせ、脚を曲げ
  考えるポーズをとってもらった。それをカメラに収めた。

 ・どうして、そんなことをしたのか。いまでは思いつかない。
  「考える」ということ。それを何か表現したかったのかもしれない。

  その日だったか、どうか。しかし、確かにこのバルコニーで、
  三年上の「中島」という名の先輩が私たちに言った。
  「ベトナム反戦で、東京はすごいことになっている」
  「神戸はまだ、静かなもんだ」

  この年の11月に、年表に拠れば、「米原潜シードラゴン号、
  佐世保入港、反対デモ、警官隊と衝突」とある。

  また、10月には、中国が核実験を行い、これに対して
  政府自民・社会・民社・公明は抗議声明を発表したが、
  共産党は「実験はやむをえない自衛手段」との見解を出した。

  「中島さん」は、それについても語り、私たちに「どう考える」か
  聞いた。私はどう答えたのだろう。人道的な立場から「すべての
  核実験、反対」と言ったのだろうか。覚えていない。


  覚えているのは、山岳部に所属し来春、就職するその「中島さん」が
  とてつもなく、大人に見えたこと。
  彼は山男にふさわしく、顎には不精ヒゲをはやし、
  「まぁ、就職の面接試験では、支持政党は自民党と
   嘘でもいいから答えておけばいい。
   あっちだって本気で聞いていないのだから」
  と言った。


 ・12月に入った頃だろうか、日の差し込まなくなった薄暗い
  教室で、授業が始まる前のしばらくの時間にも、「ベトナム戦争」の
  ことが話題になってきた。また、これを巡って、学内のあちこちで
  論議が起こり、学友の間にも意見の違いがあった。

  私には、「政治」はよくわからなかった。また、関心も少なかった。
  私には、まだまだ、「歴史」を肌で感じるとる能力がなかった。


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