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2005年12月10日07:13

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●そのとき、私は・・・( 1)/■驍將寮

■下宿

 ・それは、学校から歩いて5分とかからぬところにあった。
  「驍將寮」(ぎょうしょうりょう)といった。「寮」という
  名称がついていたが、学校が建てたものではない。

  民間の個人が営む「下宿屋」である。


 ・学校は高台のような丘の上にあり、西は広い敷地をもつ「舞子墓園」の
  なだらかな斜面に続き、北には谷を隔ててゴルフ場があつた。
  学校からは、舞子に向かって南に降りる道と、
  崖になっている東側斜面を垂水に降りる道とがあった。

 ・道幅の狭いその道を、垂水と舞子から、それぞれ
  丘の上の終点、学校と墓園入口に向かうバスが走っていた。

 ・わたしたちの「寮」は、その垂水に出る道の最初のバス停の前、
  学校の東側の崖を下ったすぐのところにあった。


 ・崖を背にして、道路に向かって凹型に建てられた二階建ての「寮」は
  左端が玄関ホールで、右端が食堂、それぞれの二階部分は
  バルコニーになっていた。

(もう、食事をして出勤せねば・・・)


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