■下宿
・それは、学校から歩いて5分とかからぬところにあった。
「驍將寮」(ぎょうしょうりょう)といった。「寮」という
名称がついていたが、学校が建てたものではない。
民間の個人が営む「下宿屋」である。
・学校は高台のような丘の上にあり、西は広い敷地をもつ「舞子墓園」の
なだらかな斜面に続き、北には谷を隔ててゴルフ場があつた。
学校からは、舞子に向かって南に降りる道と、
崖になっている東側斜面を垂水に降りる道とがあった。
・道幅の狭いその道を、垂水と舞子から、それぞれ
丘の上の終点、学校と墓園入口に向かうバスが走っていた。
・わたしたちの「寮」は、その垂水に出る道の最初のバス停の前、
学校の東側の崖を下ったすぐのところにあった。
・崖を背にして、道路に向かって凹型に建てられた二階建ての「寮」は
左端が玄関ホールで、右端が食堂、それぞれの二階部分は
バルコニーになっていた。
(もう、食事をして出勤せねば・・・)
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