■居住まいを正す
・ひとの「話」を聞くとき、私たちは
場合により、「居住まいを正す」。
それは、その「話」がもつ質に、崩れた姿勢では聞けない、
おのずと正座し、まともに、耳を傾けざるをえない
「重さ」と「真摯なもの」を感じるからだ。
・「本」でも、そうである。
寝転がっては、読めない「本」がある。
・いま、私が読んでいる「本」がそうだ。
■1968−1969
・島 泰三(著)「安田講堂 1968-1969」
中公新書1821 2005年11月25日発行
・それが、その「本」である。
私は、いま、これを仕事が終わってから、
いつもの喫茶店で、ゆっくり1時間ほど読む。
・「反戦闘争」と「大学闘争」の象徴であった
「東大闘争・安田講堂」の記録である。
・巷には、当時の「全共闘運動」や「反戦平和」「大学紛争」について
いろいろの言説がある。
・しかし、そのほとんどは、本書のように、「居住まいを正して」聞くに
値するものではない。
自分の血の一滴も流さず、あるいは、時の経過にまぎれて、
いまだその「問われているもの」を、あっさり低部で越えて
みせ、「論評」する輩がいる。
■そのとき、私は
・私は、詩が好きな「ノンセクト」にすぎないし、1年留年して
69年3月には大学を卒業した。
だから、学生として69年の「10.21」を経験したわけではないし、
もともとが「政治的な」人間でない。
・しかし、そんな私にでも、学内にビラがいたるところに貼られ、
遅ればせながら「大学封鎖」があり、「学問とは何か」と
問うた、これらの運動のもつ意味は伝わってきた。
・すでに働きはじめた私は、「学問」の意味を問うたように、
その「労働」の意味を問うた。
労働組合にかかわることなど、思ってみなかったのに
私は、ある人々から、私が読んだこともない「トロツキー」の
名を冠した「トロッキスト」と呼ばれたり、あるいは「アナーキスト」と
呼ばれたりした。
・「連帯を求めて、孤立を恐れず」というスローガンに、
惹かれたりもした。
■よみつぐ
・「沖縄」から、読み次いで、ここに来ている。
同じものが、問われ続けている。
・次は、「そのとき、私は」と題して、書くことになるだろう。
「1968-1969」。それは日本の歴史上の「大転換」であった。
しかし、定説では、まだ、そうは位置づけられていない。
・安全な場所でモノカキしている「歴史家」には何も見えない。
・「売る」。その始まりだった。売られたのは、もっとも「良質な」
「感受性のある」部分だった。
「学生」が売られた。青年・学問・大学が売られた。
次いで、労働者・労働組合が売られ、政党が売られ、
いま、国民・国が売られている。
そのはじまりが、1968-1969にあった。
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■参照
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島泰三(著)「安田講堂 1968-1969」 ぬきがき
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