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2005年12月09日03:03

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●順不同 (19)/■よみつぐ (8)

■居住まいを正す

 ・ひとの「話」を聞くとき、私たちは
  場合により、「居住まいを正す」。

  それは、その「話」がもつ質に、崩れた姿勢では聞けない、
  おのずと正座し、まともに、耳を傾けざるをえない
  「重さ」と「真摯なもの」を感じるからだ。

 ・「本」でも、そうである。
  寝転がっては、読めない「本」がある。

 ・いま、私が読んでいる「本」がそうだ。


■1968−1969

 ・島 泰三(著)「安田講堂 1968-1969」
  中公新書1821 2005年11月25日発行

 ・それが、その「本」である。
  私は、いま、これを仕事が終わってから、
  いつもの喫茶店で、ゆっくり1時間ほど読む。

 ・「反戦闘争」と「大学闘争」の象徴であった
  「東大闘争・安田講堂」の記録である。


 ・巷には、当時の「全共闘運動」や「反戦平和」「大学紛争」について
  いろいろの言説がある。

 ・しかし、そのほとんどは、本書のように、「居住まいを正して」聞くに
  値するものではない。

  自分の血の一滴も流さず、あるいは、時の経過にまぎれて、
  いまだその「問われているもの」を、あっさり低部で越えて
  みせ、「論評」する輩がいる。


■そのとき、私は

 ・私は、詩が好きな「ノンセクト」にすぎないし、1年留年して
  69年3月には大学を卒業した。
  だから、学生として69年の「10.21」を経験したわけではないし、
  もともとが「政治的な」人間でない。

 ・しかし、そんな私にでも、学内にビラがいたるところに貼られ、
  遅ればせながら「大学封鎖」があり、「学問とは何か」と
  問うた、これらの運動のもつ意味は伝わってきた。


 ・すでに働きはじめた私は、「学問」の意味を問うたように、
  その「労働」の意味を問うた。

  労働組合にかかわることなど、思ってみなかったのに
  私は、ある人々から、私が読んだこともない「トロツキー」の
  名を冠した「トロッキスト」と呼ばれたり、あるいは「アナーキスト」と
  呼ばれたりした。

 ・「連帯を求めて、孤立を恐れず」というスローガンに、
  惹かれたりもした。


■よみつぐ

 ・「沖縄」から、読み次いで、ここに来ている。
  同じものが、問われ続けている。

 ・次は、「そのとき、私は」と題して、書くことになるだろう。
  「1968-1969」。それは日本の歴史上の「大転換」であった。
  しかし、定説では、まだ、そうは位置づけられていない。

 ・安全な場所でモノカキしている「歴史家」には何も見えない。



 ・「売る」。その始まりだった。売られたのは、もっとも「良質な」
  「感受性のある」部分だった。

  「学生」が売られた。青年・学問・大学が売られた。
  次いで、労働者・労働組合が売られ、政党が売られ、
  いま、国民・国が売られている。

  そのはじまりが、1968-1969にあった。


■案内
 ・日記「総目次」
 ・「Home」&「更新記録」


 
■参照
  ・島泰三(著)「安田講堂 1968-1969」 ぬきがき


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