■たちよる
・高専の「親子・合同忘年会」は、ことしも親子孫、あわせて
24人が集まった。ビール・焼酎の空瓶は随分できたが、
恒例の「裸踊り」はなかった。ムスコたちももう31歳になる。
どことなく、「おじさん風」になってきて、馬鹿は言っているが
少しずつ落ち着きがでてきた。
・よく見ると、それぞれの親の顔に似てきている。カゲの
ところは、父親は今回、同業者の慰安旅行で沖縄に行ったので
参加できなかったが、カゲのオヤジと、カゲくんと、カゲ・
ジュニアは親子三代、まぁそれは「そっくり」である。
ジュンちゃんもオヤジさんに似てきた。やさしい目をした
「ブルドック」顔である。
・二日目は、雨が降ったりやんだりの天気で、一昨年もこうだった。
福良の港で、土産を買い、観光船の咸臨丸なんかを見て、
私たち夫婦はここで皆と別れた。
・タクシーで津井橋のたもとの「隆泉寺」に向かい、庫裏に
あいさつして、墓に手をあわせ、待せていたタクシーで、
内原の叔父の家に行ってもらう。
■心配
・叔父の家で、私は生まれた。この家で私がくらしたころと
いまの新築された家とでは、まったく異なった「家」ではあるが、
それでも同じ場所にあり、まわりの田んぼや裏の畑、垣の椿や、
家の前のせんだんの木や中庭のだいだい、どれも昔を思い出させる
ものだ。
・今年の夏は、娘の長男がサッカーの練習か試合かの日程で
孫たちをつれくる予定が立たなかった。春か夏かに、私は
自分の子供たちを連れてきたように、孫たちもこの淡路の「家」に
毎年、連れてきている。
・夏に来なかったので、妻をつれ、叔父の家に顔を出したのだが、
叔父は、腸閉塞で倒れ、洲本の県病院に一ヶ月入院していて、
ちょうど二週間前に退院してきたところだという。
・心配させまい、として私のところには知らせてこなかったのだろう。
しかも、腸閉塞で入院する前に、芝刈り機で雑草を刈っていて
右人差し指を根元から切断し、皮一枚でつながっているので
救急車で病院に運ばれ、なんとか指はくっついたものの、まだ
しばらく通院が必要な時期に腸閉塞になって、いま見ると
人差し指の第一関節は治癒しても赤くふくれあがっている。
・「もう少しで、あっちに行くところだった」と叔父は言うが、
母と同じで、叔父は痛さをずいぶん堪えていたようだ。
ガンを心配して、「入院したら最期」と覚悟して、じっと
がまんしていたように思える。
・しかし、ガンではなく、トイレで吐いて救急車で運ばれて
腸閉塞であることがわかった。
「がまんせんと、早めに見てもらわんと」
私は言ったが、叔父は「ワシも、もう八十がすぐそこや」と
うっすらと笑った。私は、目頭が熱くなった。
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