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2005年10月29日16:16

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●日々雑感(53)

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  ●ご注意!!

    ・このメモは、自分のために、次の「本」から、
     「抜き書き」「書き写し」をしています。
     
    ・一部、自分の理解しやすいように、改変し、
     叙述の順も、元の「本」とは異なっています。

    ・この本は、とてもいい本です。多くの日本人に
     買ってほしい本です。

    ・そして、読んでほしい「本」です。

    
     ●チャルマーズ・ジョンソン著、屋城通子訳
      「帝国アメリカと日本 武力依存の構造」
      (集英社新書0252) ISBN:4087202526 
      定価660円
 
      ・http://books.shueisha.co.jp/CGI/search/syousai_put.cgi?isbn_cd=4-08-720252-6&mode=1&jya_flg=3


 ※この話題の書き起こし
  日々雑感(40)
    ・http://mixi.jp/view_diary.pl?id=46771766&owner_id=1040600  

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■支配される沖縄(1990年〜1998年) その2

 ・1995年の二つの事件、<ナイ報告>と<少女レイプ事件>は、
  これまでずっと忍従を強いられ、起ち上がってはつぶされ、
  日本政府からは見捨てられた沖縄の人々を、再度起ち上がらせた。

 「1996年から98年にかけて、大田知事は、これまで米国と日本が
  沖縄を搾取し続けてきたことについて、アメリカ人には羞恥心を、
  そして沖縄以外の日本人には良心の呵責を感じてもらおうと、
  精力的に働いた」

 「たとえば、1996年9月には県民投票を実施し、全投票の
  9割、全有権者の60%弱が<基地削減>を支持した」

 「また、1996年7月には、少なく見積もっても沖縄一島に
  日本本土の1.5倍の米軍施設や軍人・軍関係者が集中している
  ことについて、<本土も分相応の重荷を分かち持つべきだ>と、
  最高裁に切々たる訴えを起こした」

 「大田は、また1996年には、米軍基地用地として収容された
  私有地の賃貸契約延長の書類に、署名することを拒んだ」

 「困った日本政府は、新しい法律をつくり、そうした書類へ
  署名する権限を、地方自治体政府から中央政府に移行し、
  沖縄は、自分の土地を自分で守る権限さえ奪われた」

 「大田は、いまや、日米関係を重視する東京やワシントンの
  為政者にとって、最も邪魔な喉もとの刺になった」

 

 「こうした大田の努力は大衆を動かし、1995年10月21日、
  宜野湾・海浜公園で開催された<少女レイプ事件抗議集会>には
  8万5000人が集まった」

 「1960年の日米安保反対闘争以来、それは日本で行われた
  最大の反米行動だった」

 「同時にこの集会は、これまであきらめかけていた人々や、
  第二次世界大戦のような悲劇と荒廃を二度とさせてはならないと
  憂慮する人々を広く結びつけた」



 「こうした事態の成り行きに、日米両政府は神経を尖らせた」

 「その矛先を少しでも和らげるために、彼らは『沖縄に関する
  特別行動委員会』(SACO)」なるものを立ち上げ、<アメリカの
  軍事作戦と訓練が、沖縄の人々に与える影響を減らす方法>を
  諮問することにした」

 「そして、SACOは27ヵ所の軍事施設を<再編・整理ないしは
  削減>する事業計画を提案した」

 「その中で最も知られているのが、宜野湾市の市街に完全に
  囲まれたように位置する海兵隊の<普天間基地・飛行場>を
  沖縄北部の名護市沖合いの<辺野古沿岸地域>に移設しよう
  とする計画だ」

 「辺野古沿岸地域に移設するというこの計画は、この沿岸地域が
  生態系にとってきわめて重要で、しかも傷つきやすい場所である
  にもかかわらず、環境への影響がどれほどのものか、ろくに
  検証もされていない工法で建設されることになっていた」

 「そして、しだいに明らかになったのは、SACOの提案そのものが
  単なる煙幕で、とりあえずは何かはしているという形ばかりの
  ものである、ということだ」

 「実現しようとする段階で、この計画が頓挫するであろうことは、
  ワシントンも東京も承知のうえだった」

 「それでも、2000年7月のロシアを加えた主要先進9ヵ国の
  沖縄サミットで、当時の米大統領ビル・クリントンは、SACO
  の27の提案のうち15の計画は<すでに実現している>と
  言い張った」

 「しかし現実には、元の持ち主に返還された土地は<安波訓練場>の
  土地ただ一ヵ所だけで、2004年時点のこの原稿を執筆
  している段階では、SACO報告に挙げられている<基地用地の
  返還>のめどは全くたっていない」

 「<ギンバル訓練場>も、<読谷補助飛行場>も、<瀬名波通信施設>も、
  <牧港補給地>も、<那覇の港湾施設>も、そのどれもが、まだ
  計画は実施されていない」




(つづく)

・ようやく一昨日の報道「普天間基地」が登場した。

・彼らの「移設計画」なるものが、はなから頓挫することを承知の
 うえで、ただの煙幕・先延ばしの手法として、私たちに提案されて
 いることが、実に明瞭にかわる。

・それは、1996年のSACO報告からはすでに9年近くが経過し、
 その問題を、私は「きょうのニュース」としてみていたのだから。

・彼らは当然「喉もとの刺」を抜こうとするであろう。次は、
 1998年の「東京がお膳立てした大田失脚」から書くことに
 なるだろう。

・したがって、メモしたことどもにつながるには、まだしばらく
 時間がかかるだろう。


・しかし、それとても、「忍従の長い歴史」を経験している人々に
 とってみれば、ほんの一瞬の痛みにも値しない、一過性の
 <しばらくの辛抱>である。




■次号(日々雑感54)を読む
 ・http://mixi.jp/view_diary.pl?id=49685457&owner_id=1040600

■前号(日々雑感52)を読む
 ・http://mixi.jp/view_diary.pl?id=49406804&owner_id=1040600


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