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●ご注意!!
・このメモは、自分のために、次の「本」から、
「抜き書き」「書き写し」をしています。
・一部、自分の理解しやすいように、改変し、
叙述の順も、元の「本」とは異なっています。
・この本は、とてもいい本です。多くの日本人に
買ってほしい本です。
・そして、読んでほしい「本」です。
●チャルマーズ・ジョンソン著、屋城通子訳
「帝国アメリカと日本 武力依存の構造」
(集英社新書0252) ISBN:4087202526
定価660円
・
http://books.shueisha.co.jp/CGI/search/syousai_put.cgi?isbn_cd=4-08-720252-6&mode=1&jya_flg=3
※この話題の書き起こし
日々雑感(40)
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http://mixi.jp/view_diary.pl?id=46771766&owner_id=1040600
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■支配される沖縄(1990年〜1998年) その2
・1995年の二つの事件、<ナイ報告>と<少女レイプ事件>は、
これまでずっと忍従を強いられ、起ち上がってはつぶされ、
日本政府からは見捨てられた沖縄の人々を、再度起ち上がらせた。
「1996年から98年にかけて、大田知事は、これまで米国と日本が
沖縄を搾取し続けてきたことについて、アメリカ人には羞恥心を、
そして沖縄以外の日本人には良心の呵責を感じてもらおうと、
精力的に働いた」
「たとえば、1996年9月には県民投票を実施し、全投票の
9割、全有権者の60%弱が<基地削減>を支持した」
「また、1996年7月には、少なく見積もっても沖縄一島に
日本本土の1.5倍の米軍施設や軍人・軍関係者が集中している
ことについて、<本土も分相応の重荷を分かち持つべきだ>と、
最高裁に切々たる訴えを起こした」
「大田は、また1996年には、米軍基地用地として収容された
私有地の賃貸契約延長の書類に、署名することを拒んだ」
「困った日本政府は、新しい法律をつくり、そうした書類へ
署名する権限を、地方自治体政府から中央政府に移行し、
沖縄は、自分の土地を自分で守る権限さえ奪われた」
「大田は、いまや、日米関係を重視する東京やワシントンの
為政者にとって、最も邪魔な喉もとの刺になった」
「こうした大田の努力は大衆を動かし、1995年10月21日、
宜野湾・海浜公園で開催された<少女レイプ事件抗議集会>には
8万5000人が集まった」
「1960年の日米安保反対闘争以来、それは日本で行われた
最大の反米行動だった」
「同時にこの集会は、これまであきらめかけていた人々や、
第二次世界大戦のような悲劇と荒廃を二度とさせてはならないと
憂慮する人々を広く結びつけた」
「こうした事態の成り行きに、日米両政府は神経を尖らせた」
「その矛先を少しでも和らげるために、彼らは『沖縄に関する
特別行動委員会』(SACO)」なるものを立ち上げ、<アメリカの
軍事作戦と訓練が、沖縄の人々に与える影響を減らす方法>を
諮問することにした」
「そして、SACOは27ヵ所の軍事施設を<再編・整理ないしは
削減>する事業計画を提案した」
「その中で最も知られているのが、宜野湾市の市街に完全に
囲まれたように位置する海兵隊の<普天間基地・飛行場>を
沖縄北部の名護市沖合いの<辺野古沿岸地域>に移設しよう
とする計画だ」
「辺野古沿岸地域に移設するというこの計画は、この沿岸地域が
生態系にとってきわめて重要で、しかも傷つきやすい場所である
にもかかわらず、環境への影響がどれほどのものか、ろくに
検証もされていない工法で建設されることになっていた」
「そして、しだいに明らかになったのは、SACOの提案そのものが
単なる煙幕で、とりあえずは何かはしているという形ばかりの
ものである、ということだ」
「実現しようとする段階で、この計画が頓挫するであろうことは、
ワシントンも東京も承知のうえだった」
「それでも、2000年7月のロシアを加えた主要先進9ヵ国の
沖縄サミットで、当時の米大統領ビル・クリントンは、SACO
の27の提案のうち15の計画は<すでに実現している>と
言い張った」
「しかし現実には、元の持ち主に返還された土地は<安波訓練場>の
土地ただ一ヵ所だけで、2004年時点のこの原稿を執筆
している段階では、SACO報告に挙げられている<基地用地の
返還>のめどは全くたっていない」
「<ギンバル訓練場>も、<読谷補助飛行場>も、<瀬名波通信施設>も、
<牧港補給地>も、<那覇の港湾施設>も、そのどれもが、まだ
計画は実施されていない」
(つづく)
・ようやく一昨日の報道「普天間基地」が登場した。
・彼らの「移設計画」なるものが、はなから頓挫することを承知の
うえで、ただの煙幕・先延ばしの手法として、私たちに提案されて
いることが、実に明瞭にかわる。
・それは、1996年のSACO報告からはすでに9年近くが経過し、
その問題を、私は「きょうのニュース」としてみていたのだから。
・彼らは当然「喉もとの刺」を抜こうとするであろう。次は、
1998年の「東京がお膳立てした大田失脚」から書くことに
なるだろう。
・したがって、メモしたことどもにつながるには、まだしばらく
時間がかかるだろう。
・しかし、それとても、「忍従の長い歴史」を経験している人々に
とってみれば、ほんの一瞬の痛みにも値しない、一過性の
<しばらくの辛抱>である。
■次号(日々雑感54)を読む
・
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=49685457&owner_id=1040600
■前号(日々雑感52)を読む
・
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=49406804&owner_id=1040600
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