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2005年10月09日13:50

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●日々雑感(24)

■新聞・旧聞

 ちかごろ、我が家の玄関ドアのポストに
 新聞が差し込まれたままになっていて
 出勤時に、ようやく朝刊を抜き取り
 ポーンと新聞を上がり口に放り投げて
 出かける事態が発生している。

 妻も、朝、新聞を取りにいかない。

 我が家は「朝日」だが、帰宅して
 夕方に、気重そうに、「朝日」を見る。


 こんなことは、いままで、なかった事態だ。
 新聞が、開いても「新聞」でないのだ。
 「旧聞」なのだ。
 それは、テレビと比べて速報性に劣るために
 旧聞だ、ということではない。

 「既視感」という言葉があったか、
 神経症のように、パキスタン・インド国境の大地震のような
 ニュースが、もうすでに、これまでも、これまでも
 あったように、「既に視た」ように思える。


■旧いものが、新しく見える

 反対に、旧いものが新鮮に見えることもある。

 混濁した、めまぐるしく消費される毎日のニュースの中で
 何がおきているのか、わからなくなるとき、
 ほっと、するときがある。

 私は、「朝日」も読むが、「平民新聞」も読む。
 時間が止まっているようで、かえって今が読める。

 ・http://d.hatena.ne.jp/heimin/



■次号(日々雑感25)を読む
 ・http://mixi.jp/view_diary.pl?id=44332739&owner_id=1040600

■前号(日々雑感23)を読む
 ・http://mixi.jp/view_diary.pl?id=44042676&owner_id=1040600



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