■きょうは「本」について書きます
(書き出すまでの休憩)
9月22日分をいまこの裏側で書いています。
ただいま、エントリーのみ。
NHK・TVで「音楽・夢くらぶ」を観ています。
■なぜ「本」なのか
さて、「本」は読んでもいいし、読まなくてもいい。
「本」は、基本的に「読まなければならない」などという
地点からは、その性質上、もっとも遠く離れているだろう。
まず、「本」は面白いから読む。面白くない「本」を
読む必要など、もうとうない。「読みたい」から読む。
「何かのために読む」強いられて読むものではない。
はじめは「エンターテイメント」、まず面白いこと。
これが「本」の魅力であり、「本」が読みたくなる。
そして、読むうちに「本」の活字を追いながら、「本」の
向こう側の何かを、知り・味わい・心寄せ、自分と「本」が
くっついてきて、一生懸命、何かをさぐっている。
だから、何かのために読むのではない「無償の読書」といいながら、
同時に、何かの何かを求めて読んでる(もちろん、気楽に読んで
いるときを含めて)と言ってもいい。
無償の読書でありながら、目的の読書かもしれない。
そして、何が「面白いか」も変化する。
■「本」と「本屋」
私の読書も、ドリトル先生の旅行やアフリカの奇怪な植物、
昔話、とんち話などから始まっている。
しかし、中学ごろから「読んでおいたほうがよい本」という
のも読み始めた。そして、大学を卒業する頃、「一切、本は
読むな」と、読書を禁じた時期もあった。
「本」とのつきあいで、私が「考える」ようになったのも
事実である。「本」を読みながら考える。小説・詩・ノンフィクション、
歴史・芸術・社会・数学・化学、ジャンルや分野が広がり、
興味も広がる。
仕事関係の本とハウツー本、そして処世本と人生論的・
幸福論的な本は、避けてあまり読まなかった。そういう
時期が長いことあった。
私は、つまずいたとき「本」を探した。私を支えてくれる
「本」を探した。悩むことや頭をぶつけることが多かったので、
そんなときは、病院に通うように「本屋」で時間を過ごした。
図書館も通ったが、図書館の空気になじまない体質があるので、
古本屋には、普通の本屋と同じように通ったが、図書館は
ある時期(本屋にない本を探すとき)を除いて、あまり
利用しなかった。
■忘れえぬ「本」たち
もともと、私が本を買うときは、何かに頭をぶつけている
ことが多いから、ムスコが笑うように、本棚を見れば
「おとんの悩み」はすぐわかる。
だから、書棚の「本」を見れば、ある時期を思い出す。
買った「本」で、まったくそれを読まずに、無事にその時期を
乗り越えたことがあれば、私にとって、服用せずにすんだ
「薬」のようなものだ。
本をためる趣味はない。初版本や稀覯本にも関心ない。
でも「本」の冊数はふえた。
そんな中で、忘れえぬ「本」たちがある。
どの「本」も思い出があるが、なかでも、繰り返し反芻した
「本」がある。
その「本」について、次回から書こうと思う。
■次号(順不同10)を読む
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■前号(順不同8)を読む
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