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2005年09月22日23:35

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●順不同 (9)

■きょうは「本」について書きます

(書き出すまでの休憩)
 9月22日分をいまこの裏側で書いています。

 ただいま、エントリーのみ。
 NHK・TVで「音楽・夢くらぶ」を観ています。


■なぜ「本」なのか

 さて、「本」は読んでもいいし、読まなくてもいい。
 「本」は、基本的に「読まなければならない」などという
 地点からは、その性質上、もっとも遠く離れているだろう。

 まず、「本」は面白いから読む。面白くない「本」を
 読む必要など、もうとうない。「読みたい」から読む。


 「何かのために読む」強いられて読むものではない。

 はじめは「エンターテイメント」、まず面白いこと。
 これが「本」の魅力であり、「本」が読みたくなる。
 そして、読むうちに「本」の活字を追いながら、「本」の
 向こう側の何かを、知り・味わい・心寄せ、自分と「本」が
 くっついてきて、一生懸命、何かをさぐっている。

 だから、何かのために読むのではない「無償の読書」といいながら、
 同時に、何かの何かを求めて読んでる(もちろん、気楽に読んで
 いるときを含めて)と言ってもいい。

 無償の読書でありながら、目的の読書かもしれない。

 そして、何が「面白いか」も変化する。


■「本」と「本屋」

 私の読書も、ドリトル先生の旅行やアフリカの奇怪な植物、
 昔話、とんち話などから始まっている。

 しかし、中学ごろから「読んでおいたほうがよい本」という
 のも読み始めた。そして、大学を卒業する頃、「一切、本は
 読むな」と、読書を禁じた時期もあった。

 「本」とのつきあいで、私が「考える」ようになったのも
 事実である。「本」を読みながら考える。小説・詩・ノンフィクション、
 歴史・芸術・社会・数学・化学、ジャンルや分野が広がり、
 興味も広がる。

 仕事関係の本とハウツー本、そして処世本と人生論的・
 幸福論的な本は、避けてあまり読まなかった。そういう
 時期が長いことあった。

 私は、つまずいたとき「本」を探した。私を支えてくれる
 「本」を探した。悩むことや頭をぶつけることが多かったので、
 そんなときは、病院に通うように「本屋」で時間を過ごした。
 図書館も通ったが、図書館の空気になじまない体質があるので、
 古本屋には、普通の本屋と同じように通ったが、図書館は
 ある時期(本屋にない本を探すとき)を除いて、あまり
 利用しなかった。


■忘れえぬ「本」たち

 もともと、私が本を買うときは、何かに頭をぶつけている
 ことが多いから、ムスコが笑うように、本棚を見れば
 「おとんの悩み」はすぐわかる。
 
 だから、書棚の「本」を見れば、ある時期を思い出す。
 買った「本」で、まったくそれを読まずに、無事にその時期を
 乗り越えたことがあれば、私にとって、服用せずにすんだ
 「薬」のようなものだ。

 本をためる趣味はない。初版本や稀覯本にも関心ない。
 でも「本」の冊数はふえた。

 そんな中で、忘れえぬ「本」たちがある。
 どの「本」も思い出があるが、なかでも、繰り返し反芻した
 「本」がある。
 その「本」について、次回から書こうと思う。


■次号(順不同10)を読む
 ・http://mixi.jp/view_diary.pl?id=40216686&owner_id=1040600

■前号(順不同8)を読む
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