■言わずもがなのこと
私は、前回、現代の「親殺し」「子殺し」「夫婦・他人殺し」の
ことについて書くことを予告していた。私の心積もりは
私の住んでいる所から2キロと離れていない場所で起きた
「殺人事件」について触れ、それと柳田國男「山の人生」の話を
対比して、そこから見えてくる事柄を書こうと思っていた。
近所で起きた殺人事件とは、ひとつは「酒鬼薔薇聖斗」の事件、
もうひとつは、私が毎朝通う椿谷公園横の路上で起きた主婦殺害事件。
しかし、私はもうこれについては書かない。
私にそう思わせたのにはひとつの理由がある。
■憑き物が落ちる
旅行から帰って、このmixiを開けたら一通のメールが届いていた。
それは、私がメールの主のページに書き込んだ内容に関しての
クレームであり、書込みを削除した、という文面であった。
私は、映画制作を志している青年と見受けられるその人のページに
好感を抱き、私も自称「映画好き」であること、私と映画とのかかわり、
そして、年譜風に幼少期から働き始める頃までの期間の
私に影響を与えたその年々の作品タイトルを書いた。
しかし、メールをくれたその人は、私の書き込みが
コメントになっていない、自分のことばかり「宣伝」している、
自分のページの書込みにふさわしくない、したがって
削除したとの通告であった。
たしかに「自分を語る」に過ぎることはそのとおりであるが、
それは、相手と絡みたいからである。「そうですネ」とか
「すごい!」 とかの一言よりも、
書き込む人の考えたことや書込みさせた動機などを
私ならば、より歓迎するという思い込みがあったからである。
しかし、それはとんだお門違い、一人合点かもしれなかったことに
気づかされた。正直、冷や水を浴びせかけられたように思った。
旅行の目的も達し、帰神すれば、季節の変わり目。
私はしばらく声もなく、この二ヶ月の自分を振り返った。
「はしゃぎすぎ」そんな声が聞こえてくる。
「あぁ、正当に歳をとらねば」と自戒する。若いときは自分をより多く、
語りたいものだ。そして、自分を確立するための自己表現を求める。
だが、ありがたいことに、私はもう語ることは必要ない。ただ、
頷くなり、世界が私に振り与えてくれるものを享受すれば
いいのだ。これに尽きる贅沢がどこにあろう。
分を超えて、何を語ろうというのか。
憑き物が落ちたように、静かに秋の深まりの中に身をおいている。
■次号(順不同)を読む
・
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=39836661&owner_id=1040600
■前号(順不同)を読む
・
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=36954806&owner_id=1040600
ログインしてコメントを確認・投稿する