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2005年09月01日20:41

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●私の「メモ帖」 (「日記」の部 No.1)

■「声色(こわいろ)」

  人はときと場合によって
  声を使いわける。

  怒っているときに
  ニタニタしてしゃべるとき同じトーンと抑揚で
  しゃべったら
  怒られている人は「叱られている」あるいは
  この人は「怒っている」と感じずに
  馬鹿にされているような気分に陥るのではないか。


  また、友達と話すときと先生と話すときは
  当然、しゃべり方が異なるだろう。
  もっとも最近では、
  女子大とくに短大などでは
  大学の先生(教授)もかたなしで
  「せんせ〜」「あのね、あたし、きのうね・・・・・」
  などと、お友達のように話しかけられる
  という話を国立大学を定年退官し、女子大の教授に
  なった人から聞いた。

  せっかく、人にはいろんな声が出せる能力が
  備わっているのだから
  それを使わない手はない。
  「涙」が武器であるように
  「声」もひとつの力である。

  つい最近、このmixiで
  ある年齢に達したなら「顔」に責任を持たねばならぬ
  「顔」は「人格」である、という話になった。
  そして、「顔」だけでなく「声」もまた「人格」であり、
  自分の「声」にも責任を持たねばならぬ
  ということに話は至った。


■会話を楽しむ

  外国の人と比べて、日本人に欠けている能力に
  「会話を楽しむ」ということが
  挙げられることがある。

  私は、必ずしもそうは思わないが
  我々のそういう能力が衰えてきている傾向にあることは
  認めなければならない、とも思う。

  mixiの会員の皆さんにあっては、すでに充分「会話」を
  楽しみ、なかに「会話の達人」もおられるかと思う。

  だから、釈迦に説法なのであるが
  「談論風発」、話が盛り上がる要諦は
  相手の発言にふれ、こちらに新たな「コメント」が
  生まれ、こちらの発言によってさらに相手に
  新たなる「イマジネーション」を生ましめる、
  このことに尽きるのではなかろうか。


■覗(のぞ)いて書き込む

  mixiの仲間のページを覗いて
  「ふ〜ん」と感心したり
  「おぉ」とびっくりしたり
  「おゃ、おゃ」と共感したり
  いろんな思いが起こってくるが
  その大半は、それでオシマイ。

  「書込み」するまでには至らない。
  「書込み」したい、「書込み」する、
  に至るまでには一定のエネルギーが必要なのである。
  ある「閾値(いきち、しきいち)」を超えることが不可欠
  である。

■私の「書込み」

  またもや、「前口上」が長い。
  なんのことはない。ここは私の「書込み」の記録である。

  自分が何を書き込んだか、そのメモであり、
  相手の「反歌」を楽しみに待ったり、
  そのためのページである。

  もし、これがあなたの「興味」にふれたとしたら、
  私が何に「反応」し、何を「コメント」したかったか、
  その一端がご理解いただけると思う。



■収録期間 2005年08月26日から
        2005年08月31日まで

■この次を見る
 ・http://mixi.jp/view_diary.pl?id=35838431&owner_id=1040600


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