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2025年01月28日01:34

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大シルクロード展(1)

大シルクロード展の開催を知ったのは1昨年。東京まで行こうかと思ったら、京都に巡回しに来るということで、1年あまりずっと待っていました。ようやく見に行くことができました。
場所は京都文化博物館。
中日平和友好条約締結45周年記念で、中国各地の博物館からシルクロード関連の展示品を持ってきたということです。

まずは金銅製の小さな男子跪坐像。新疆ウイグル自治区出土。とんがった帽子をかぶっていますが、その隣にやはり新疆ウイグル自治区から出土したフェルトのとんがり帽子。全く同じではありませんが、うまいぐあいに配置してあるなあと感心。

ガラスの高脚杯がクチャから出土しています。緑色で、外側に円文が散らしてあって、正倉院の碧瑠璃の杯と似た意匠です。発掘品なのでかなりくすんでいます。チェルチェンから出た切子杯もあって、外側に丸くそいだ模様もやはり正倉院の白瑠璃碗を引き延ばしたような形です。こちらもかなりくもった色になっています。ガラスが透明のまま残っている正倉院はやはり特別。

箜篌のかけらもあります。箜篌は古代ペルシアの楽器で、シルクロードを通じて中国に来て、さらに日本にも来ました。共鳴部分が残っていて、音が鳴る構造がうかがえます。トルファン出土ですが、前8〜3世紀って古すぎる。車師王国よりも古い時代に箜篌が入っていたなんて、ある?

陶製の蚕にビックリ。こんなものも作っていたのかと。

絵が織り出された織物があり、ケンタウロスと西方の容貌の武人の姿が色鮮やかに表されています。ホータンで壁掛けに使われていたようです。こういったものが掛けられているお屋敷の様子などを想像します。

それから女神像綿布。おお〜〜〜、新疆ウイグル自治区博物館で見たものと感動の再会です。当時、同行の先生がこれは大変貴重な作品だと言っていました。それは、西方の女神の像と、中国の龍が並べて描き出されているからです。まさしく東と西が出会った証拠の品です。女神は「豊穣の角(コルヌコピア)」を持っており、クシャーン貨幣に打ち出された像との類似点が指摘されています。西域南道の要衝、ニヤから出土したものです。

ここからしばらく織物が続きます。靴下、ズボン、剣の鞘、馬の面覆い。また、墓の中から出土して、死者の顔を覆うための布もあります。
興味深いのは、連珠文が多く見られることです。連珠文は古代ペルシア起源の意匠で、円を丸く配置してその中に模様を描き出すものです。正倉院にまで渡ってきていますので、ワールドワイドにポピュラーな文様になっているのですね。

次は金工芸。銀製の碗はペルシアまたはソグドで作られたものと考えられています。
胡人(広く西方から来た人を表す言葉ですが、主にソグド人のことを言います)が踊りを踊る胡騰舞像。ソグド人は男女問わずテンポの速い踊りが得意で、唐代の中国でもてはやされました。

金の耳環は、さすがに華やかな金色で、トルコ石やピンクの石がはめ込まれています。北魏期のもので、耳に穴をあけるのは「中華の服飾体形にはふくまれない」そうです。唐代になると華やかな耳環の例がいくつかあって、今までに展覧会で見たことがあったのですが、西方の風習が入ってきて耳に穴をあけるようになったのかと思います。

銀の人物文水差しは北周の武将の墓から出てきたものですが、「パリスの審判」の場面が描かれている!トハリスタンで制作されたものと考えられていますが、それが北朝まで渡ってきたんですね。人物像を見ても、ペルシアで作られたのかと思うような造形です。

貨幣コーナーもあります。クシャーン朝、ササン朝。「ササン朝式」と書いてあるものは、ササン朝がイスラム帝国に滅ぼされた後も同じタイプの貨幣が作られていたことから。ササン朝の貨幣はそれだけ信頼があったのですね。
クシャーン朝の金貨には女神の像が刻んであり、「豊穣の角」を持っています。おお、ニヤの綿布の女神像に通じるものが。女神の名前はアルドクショー。これがニヤに渡って、中国の龍と合体させた織物を作ったのはどういう経緯だったのだろうとあらためて思いました。
あと東ローマ金貨。
唐代の開元通宝。
最後の方に和同開珎。…日本の通貨?と思ったら、西安で出土したもので、おそらく遣唐使が携えてきたものと思われます。留学費用だったのかも。

(つづく)
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