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2024年04月03日00:01

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イザヤ14:12-15

【イザヤ14:12-15「黎明の子,明けの明星」とはだれか】
イザヤはここでも両義的表現を使っている。13章と14章は,バビロンの没落を描いたものであるが,一帝国としてのバビロンとこの世の象徴としてのバビロンの両方を指している(教義と聖約133:14参照)。それゆえ,大部分の学者は「黎明の子,明けの明星」というのは,バビロンの王,恐らくはネブカデネザルのことだと考えている。バビロン(邪悪なサタンの王国バビロン)という言葉を象徴的に使ったとすれば,黎明の子とはルシフェル,すなわちサタンのことである。この解釈は末日の啓示で確認されている(教義と聖約76:26-28)。サタンもバビロンの王子も(ここでは両方とも黎明の子として表されている),自ら王の栄光に就くことを求めている。しかし,実際は地獄に突き落とされ,そこで泣き叫び,歯がみをすることであろう。
イザヤ13:13-14をモーセ4:1-4と比較してみよう。そこにはルシフェルが全人類を救うために出した条件が書かれている。カイルとデリッチは「集会」(13節)という語を「神々の集い」(『注解』7:1:312)と翻訳しており,この表現の持つ意味をさらに明確にしている。
ほかにもイザヤの美しい両義的表現の例がある。それは,世の王たちでさえ,尊いさまでそれぞれの墓に眠るというのに(18-19節),バビロンの王は見捨てられ,足の下に踏みつけにされる,と書かれている部分である。この報いは文字どおりにカルデヤの町に下された。ネブカデネザルは確かに壮麗に埋葬されたはずではあるけれども,今日バビロンの遺跡にはどこにもその王の墓は見当たらない。サタンの「墓」についても考えてみるとよい。肉体を受けることがないため,墓や記念碑のたぐいは存在しない。それでもサタンは大古の昔から全世界に広がっていた霊のバビロン帝国の王であり,支配者だったのである。この地上の王たちは,その生涯のうちに邪悪な生活を送ってもなお星の栄えの王国を受け継ぐことができる。彼らがサタンの最期を見て不思議に思うのも無理からぬことである。
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