mixiユーザー(id:1940449)

2024年02月27日09:47

19 view

投票とテロ

動画は長いしややこしいので よほど好きな人だけw
そもそも こんなことまで知らなければ民主主義について話せないのかといわれれば
全然そんなことはないです


https://www.youtube.com/watch?v=Gm0zJu8kE3E&t=48s (コンドルセのパラドックス)

さあ 一回見ただけで完全に理解できただろうか?
これらのパラドックスを初めて聞いたとき おれは騙されているとおもったw
https://www.youtube.com/watch?v=_zQN8MFqP6Y(アローの不可能性定理)

わりと何にでもいえることで 特にアローの不可能性原理は奥が深いので応用はダイジだw

黒澤映画の椿三十郎をみただろうか?
あの映画の中で重要なテーマが多数決がいかにして間違うかだw
登場人物の若侍達は その中で選び取った結論の間違いを
偶然耳にしていた三船敏郎に看破され考え直すw
悪人の家老を 穏やかな家老と比べて悪人を選んでしまう
三船は言う
「おめーらがいう使えねー家老ってのは 見た目がいまいちだろw で おめーらが押してる家老ってのはまー 見た目は問題ねー だろ?w」
若者たちは図星の指摘にうろたえる
現実には三船の指摘が正しかったわけで映画はラストに向かう
そして 投票の代わりに その意志を通すのはただ積み重なる殺戮だ
「てめーらのバカのおかげで殺生しちまったぜ」と三船が若者にどなる
つかえねー家老は元の地位に戻った祝いの席で
「わしは頃合いを見てもっと穏やかに終わらそうと考えていたよ」
またこうも言う
「わしはあんな飛び抜けた男は困る あの男(三船)にしても困だろうよ 社会に不適合だ」
結局 映画の中で正義は暴力で達成される
そして それを社会はのちに非難する
最後に三船は相手側の暴力装置と戦い勝つ
そして三船が「これはおれだ」と共感するのはその男だけである
黒澤映画のラストでは多く見られるラストシーンだ
出来上がった共同体には暴力の存在は危険なのだ
暴力は独裁につながる 独裁を避けるためには暴力は消さねばならない

え? なんかどっかで不整合はないか?
最終的に「アローの不可能性の定理」で民主的な決定はできなかったんじゃないか?

つづくw



1 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2024年02月>
    123
45678910
11121314151617
18192021222324
2526272829  

最近の日記

もっと見る