すごく乱暴に言ってみれば
デリダのメインの主張である「脱構築」とはなにか
それはおそらく「脱宗教」だ
デリダを読んでいるとそこかしこに「アンガージュマン」「自律」という単語がつらなってでてくる
「アンガージュマン」とは
https://kotobank.jp/word/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%82%AC%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%83%9E%E3%83%B3-29036
めんどくさいのでリンクでごまかしたけどw
まー 責任とか社会参加とかいう意味だ
そして「自律」である
「自分で考える」ということで
いま問題として考えていることは 正しい答えであると思い込んでやしないか?
あなたの判断は実際には社会によって作り上げられた構造ではないのか?
要は あなたは知らないうちに変な宗教の信者になっていないか?w ということで
「アンガージュマン」を看板としてマルクス主義のせんでんにやっきだったサルトルを見直せば まさにマルクス主義という物語の宗教という話と同じだw
我々は自律ではない判断によって 絶えずアンガージュマンを要求される恐れがある
よくよく考えよ 本当にそれはあなたの考えた価値か?
極論になってないか?
それ以上にそれは「美しい」のか?清浄なのか?後で恥ずかしくならないか?w
デリダはそれらをよく考えろという
簡単なものに通分して計算可能だと喜ぶなという
簡単でわかりやすいものなどないという
デリダ 全部あんたの言うとおりだw
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