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2024年01月27日21:04

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週プロ流智美あの日あの時予想2023年総括(19)

第288戦、5月10日発売号○【予想、正解】「勝った猪木がリング上で200万円の札束をバラ撒く!」NWFヘビー級選手権試合、猪木vsジャック・ブリスコ(79年新日本プロレス福岡スポーツセンター)

【参考】意外な“地味発進”、Uインターが後楽園で旗揚げ!高田延彦vsトム・バートン他(91年UWFインターナショナル旗揚げ戦後楽園ホール)

【解説】前年11月に行なわれた「プレ日本選手権」に参戦したヒロ・マツダのブッキングで新日本プロレスに元NWA世界ヘビー級王者ジャック・ブリスコが初参戦、新日本プロレスにはセミリタイアしていたルー・テーズ以外で初めて元NWA世界ヘビー級王者がやって来ました。

67年11月、日本プロレスの「ウィンター・シリーズ」に初来日、馬場、猪木と初対戦しています。

71年7月、日本プロレス「サマー・ビッグ・シリーズ」に再来日、8月5日、愛知県体育館で猪木のUN王座に挑戦。1本目は21分2秒、ブリスコがダブルアーム・スープレックスから体固め、2本目は7分6秒、猪木がジャーマン・スープレックスホールド、決勝の3本目は1分37秒、猪木がアバラ折り(コブラツイスト)でギブアップさせて2−1で猪木が2度目のタイトル防衛に成功しています。

ブリスコは敗れはしたものの日本で高評価を得ています。 73年7月20日、テキサス州ヒューストン・サム・ヒューストン・コロシアムでハーリー・レイスを破り、第48代NWA世界ヘビー級王者となりました

NWA世界ヘビー級王者となったブリスコは74年1月の「新春NWAチャンピオン・シリーズ」で全日本プロレス初登場。同時に前王者レイス、元王者ドリー・ファンク・ジュニアも参戦、NWA会長のサム・マソニックも立会人として来日、猪木の新日本プロレスに対して「逆立ちしたってこんなメンバーは呼べないだろう」と、その力を誇示するような豪華メンバーでした。

同シリーズでは1月23日、長崎国際体育館で馬場(PWFヘビー級ダブルタイトル戦)、1月24日広島県立体育館でレイス、1月27日、大阪・東淀川体育館でドリー、1月28日愛知県体育館でザ・デストロイヤー、1月30日、日大講堂で鶴田の挑戦をすべて退けました。(鶴田に勝った以外は全て引き分け)

同年11月の「NWAワールド・チャンピオン・シリーズ」への来日では、12月2日、鹿児島県立体育館で馬場に2−1で敗れて王座を奪われ、12月5日、日大講堂でのリターンマッチ(PWFヘビー級ダブルタイトル戦)も2−1で負け、12月9日、豊橋市体育館での2度目の挑戦で馬場からタイトルを奪い返し第50代王者に返り咲き。12月12日、川崎市体育館で鶴田に勝って初防衛を果たして帰国。

翌75年3月、「エキサイト・シリーズ」に世界王者として3度目の全日本プロレス参戦、3月9日、函館市民体育館での馬場との因縁のタイトル戦は1−1の引き分け、3月11日、愛知県体育館で鶴田、3月12日、富士宮市体育館でデストロイヤーをいずれも2−1で破り、シリーズ最終戦の3月13日、日大講堂では異色の挑戦者、ボボ・ブラジルの挑戦を受けて1−1から反則勝ち。

その後も長期政権を築き、同年8月8日、ミズーリ州セントルイス・キール・オーデトリアムでは馬場を迎え撃って2−1で防衛に成功しましたが、12月10日、フロリダ州マイアミビーチ・コンベンションセンターでテリーに28分、首固めで敗れ王座から陥落しました。

世界タイトルは失ったものの、以降も各地で勢力的に活躍。76年4月17日にはパク・ソンナン(朴松男)を破りNWAフロリダ・ヘビー級王座に返り咲きました。同年8月9日にはテネシー州メンフィスにてジェリー・ローラーからミッドアメリカ版のNWA南部ヘビー級王座を奪取。

同月28日、全日本プロレスの「ブラック・パワー・シリーズ」日大講堂大会にワンマッチ参戦。復活したUNヘビー級王座の王座決定戦にアメリカ代表として出場、日本代表の鶴田とと対戦しましたが、1−1から首固めで敗れています。

11月26日にはセントルイス・キール・オーデトリアムで「超新星」ボブ・バックランドを破りNWAミズーリ・ヘビー級王座を獲得、翌週77年8月12日にディック・スレーターに敗れるまで保持しました。

ホームリングのフロリダでは70年代後半、ジェリーとのブリスコ・ブラザーズでボブ・ループ&ボブ・オートン・ジュニア組、スーパースター・ビリー・グラハム&オックス・ベーカー組、ボビー・ダンカン&キラー・カール・コックス組、Mサイトー(M齋藤)&ミスター・サト(高千穂明久)組などのチームと抗争を展開。ジョージア州ではザ・ファンクスとの抗争も再開し、78年から79年にかけて、NWAジョージア州タッグ王座を争いました。

ブリスコ・ブラザーズは全日本プロレスでは外国人レスラーのブッカーであったファンクスがベビーフェイス外国人タッグチームの筆頭格とし君臨しており、チームとして呼ばれることはありませんでしたがアメリカでは同格のライバルでした。

今回、日本では親馬場派だったマツダが日本でのビジネスパートナーを新日本プロレスに鞍替えしたことでブリスコの新日本プロレス初参戦が実現。

新日本プロレスには75年12月のビル・ロビンソン以来となる正統派テクニシャン系大物外国人レスラーの来日となり、猪木との約8年ぶりの対戦が大いに注目されるところです。

ブリスコの新日本プロレス参戦について馬場は「行くと言っているものは仕方がないが、こういうことは業界としては本当に良くないんことなんだよなぁ」とコメントしています。

「第2回MSGシリーズ」第14戦、5月10日、福岡スポーツセンターで猪木とブリスコのNWFヘビー級選手権試合が実現(61分1本勝負)。ブリスコは前半戦特別参加、公式戦へのエントリーはなし。

試合前に前週の5月4日、岡山武道館に次いで、ブリスコが日本円の千円札の札束10,000ドル分を持参し「賞金マッチをやろう」と提案。試合は16分49秒、足4の字固め狙いに来たブリスコを猪木が下から首固めに決めてカウント3。16分49秒、猪木が22度目の防衛に成功しています。

オールドスクールタイプのクラシックなレスリングのブリスコですが、格闘技戦のエッセンスを試合に採り入れていた猪木とは思いの他噛み合わず、約8年前に行われた日本プロレス時代のUN選手権試合程の名勝負にはなりませんでした。

試合後、勝った猪木がブリスコ持参の札束をリング上から撒き散らし、それを拾おうとする観客がリングサイドに押し寄せるというハプニングがありました。テレビ中継ではそのあたりは引きで撮っていて、試合後の出来事だったのでごく短時間しかその場面が映っておりませんが、この試合に賞金マッチが必要だったかというとかなり疑問です。

後年、この「賞金マッチギミック」について、74年12月にブリスコが馬場に敗れNWA世界ヘビー級王座を1週間明け渡した時の金銭の遣り取りについて、ブリスコが自伝(日本語版未発売)で詳細に書いており、それを柳澤健著「1964年のジャイアント馬場」に引用していますが、「馬場はブリスコから金でNWA世界ヘビー級王座を1週間だけレンタルした」ことに対する皮肉という意見もありますが、これはいささか無理筋ではないかと思います。

結果的には「賞金マッチ」はやらない方が、よかったですね。

※対戦成績は288戦51勝237敗、勝率177。
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