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2023年12月21日17:42

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現代小説『死につづける人々」

『死につづける人々』     游月 昭

 私の魂は、重い体を置き去りにして、宇宙の端々へと拡散し、存在を限りなく零に近づけようとしていた。ただ、瞳はまだ青い空を孕み空虚な街を映し出していたようだ。
「あんたはジオラマに立つ人形なのか?」
「は?」突然目の前に現れた男は、笑いながら、以前から知っているような、馴れ馴れしい言葉をかけて来た。しかし無下にあしらうわけにもいかない情を感じた。そんな男の奇妙な言葉に、私はようやく我に返っていた。
「やっと俺が見えたか。あんたが、ぶつかっておきながらうわの空。しばらく様子を窺っておったが、瞬きもせず遠くを見続けていて話が通じない。」
「ああ、すみません、考え事をしていて、」
「いいや、考えてなんかいない。」
 私は目をひそめて男の瞳を覗き込んだ。吸い込まれそうな感覚に戸惑い目を逸らした。
「dying!」
「は?」唐突な言葉に、私はまた男の目を見た。やはり吸い込まれそうな気持ちになる。
「死ぬぞ、あんた死にかかっとる。」
 私は関わるまいと目を逸らし「ほっといてくれ」と吐き捨ててその場を早足で去ろうとした。
「今日は祭か?やけに人が多いと思わんか?よく周りを見てみろ。年金支給日でもないのに年寄りばかりじゃないか。」
 男は話題を変えて後をついてくる。余計に不信感を募らせたが、なるほど、閑散としていたはずの街に人があふれかえっている。
「どうでもいいじゃないですか。」
 それでも男はついてくる。
「あんたの知人もいるんじゃないか?」
「え?」何か様子がおかしい。生気を失ったような老人ばかり歩いていて、誰も言葉を交わしていない。橋の辺りを歩く長い髪、見覚えのあるワンピースに気づいて私は目を見開いた。
「晴美?……いや、まさか……」
 全身に鳥肌が立ち、金縛りにあったかのように立ちすくんで女性の姿を目で追った。
「ああっ!」続いて、死んだはずの人々の顔を次々に見つけた。とうに亡くなった筈の親戚の叔父や叔母達、祖父母、そして軍服姿、和服、その他仮装行列のような古めかしい出立ちの人々。
「何が起こっているんだ、あんたは……」
男は隣で哀し気とも楽し気とも判別できない表情で私を見ていた。
「俺は誰でもないが、あんたの深層の意識が作り出した道標なのかもな。あるいは神……なんてな。まあなんでもいい。あんた寄りの意見を言えば、晴美の為にやり残した事があるんじゃないのか?」
 私は、はっとしてポケットの中に手を突っ込んで目蓋を閉じた。そしてゆっくり目蓋を開いて顔を上げ、遠ざかる彼女を足早に追いかけた。近づけば近づくほどに晴美の匂いが漂って来る。
「晴美!待って!」
 彼女の前で向き直り、両肩に手を当てた。
 しかし、その両手は無表情の彼女の肩を透り抜け、そのまま力無く私の太腿に戻った。
「はあっ、」心の底が抜け、私は黒く狭いチューブの中を落ちていく。なすすべもないまま落ち続け、そして小さな粒になり、粉になった後、闇に溶けて深い底にわだかまった。
 やがて朝が近づくようにモザイクの造形物が現れ始めた。そして、映像の逆回転のように晴美の姿が映し出され、正面に浮き出して来る。やはり無表情の彼女が私の奥の無限大を見ている。
〈晴美、晴美ーっ!〉
 力の限り大声を出そうとするが、耳鳴りのような音が響くだけ。もっと、もっと、念じ続けていると、彼女の目から涙が溢れた。私は深い闇の底へと手を伸ばし、ダイヤの指輪が入ったリングケースを引き上げて彼女の胸元へと差し出した。微かに笑みを浮かべたように感じた。そして彼女は目を閉じ、私は再び闇に紛れた。
「おにいさん、おにいさん、ちょっと大丈夫?」
 通りすがりのおばさんが私の肩をゆすっているのに気づいた。雨が降っていた。私は橋の上で一人倒れていた。
「あ、ああ、すみません大丈夫です。」
 ゆっくりと立ち上がり、おばさんに一礼して辺りを見回したが、既に亡くなった人々は誰もいなくなっていた。彼女も。そしてあの日からずっとポケットに置き去りにしていた物も。
 混沌とした西の空で夕日が眠りにつこうとしていた。雨は暗い空から落ちて来る。
《帰ろう……》
 私は、あともう少しだけ生きつづけることにした。
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