エロを何故に求めるのかは 基本的に原因を特定できない
また 神聖性もその原因を特定できない
その2つは複雑系の原因からなっており
特定の原因をつまみだしてもそこに意味など無いからだ
ややこしい話をしてるように聞こえるけど
じつは極めて簡単な話で グラフの縦軸に人数 横軸にエロの強さをとって
世の中の事象をプロットしていけばいいわけだけど
そんなプロットはできない
まーあたりまえだけど エロは数値化できないからだw
でもね エロや神聖の成り立ちは複雑系であることは確実で
エロが数値化でできるならグラフはべき乗則のグラフになる
要するにエロも神聖も社会的に得たものではなく
生得的に 人間が生まれもって得ているもので
なににエロを感じるか 神聖を感じるかは各々の遺伝的な結果であって
様々な要素で変わってくる
生得的な思考をランダムに伸ばしていった価値もあるだろう
どんなものにエロを感じるか神聖を感じるかは 偶然であり
神聖なものに エロを感じる感じないという関係性は同じように偶然である
まーついでにいえばエロは生得的であって 生物として順接な関係性はある
しかし 神聖の感覚は
どんな意味でも そこに理由など無い
神聖の感覚は何か他の感覚の利用で後付されたものだ
だから 神聖なものにエロを感じるのはなぜか? という問いに答えはないし
だから 神聖な存在が農耕によって作り上げられた社会的なものであるってのは嘘だw
もっといえば 宗教が濃厚で社会化されたから生まれたってのも同じように嘘であるw
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