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2023年05月23日01:27

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イザヤ33:14-15

【イザヤ33:14-15「だれがとこしえの燃える火の中におることができよう」】
ジョセフ・スミスの教えによれば,ある人々は「とこしえに燃える神の火の高みにまで昇る。神がとこしえに燃える火の中に住んでおられるからである。また,地獄の汚れの中に行く者もある。これは火と硫黄の湖と同様,激しい責め苦となる。」(『教え』p.36.教義と聖約128:24;130:7;133:41;へブル12:29も比較参照)『旧約聖書』の中でも最も美しい聖句の一つに,主が,この燃える火に堪えることのできるのはだれかと尋ね,それに堪えることのできる人の資質について描いている場面がある(14-15節参照)。
ブルース・R・マッコンキー長老は,イザヤの「だれがとこしえの燃える火の中におることができよう」(14節)という問いかけについて次のように論じている。
『これは,教会員のうちだれが日の栄えの王国を受け継ぐことができようか,という意味である。だれが神とキリストと聖なる者たちのいる所へ行くことができようか。そしてだれが世に打ち勝って義の業をなし,信仰と献身とによって最後まで堪え忍び,「来て,父のみ国を受け継ぎなさい」という恵みに満ちた言葉を聞くことができようか,という意味である。
イザヤはこう答えている。〔イザヤ33:15-16〕」
マッコンキー長老はさらに次のように続けている。
「さてもしよろしければ,まず,わたしはイザヤのこの言葉が聖霊の力によって語られたものであると考え,この聖句がわたしたち自身に,そしてわたしたちの時代にどう当てはまるのか解説してみたいと思う。
第1に,『正しく歩む者,正直に語る者』についてである。これは,主イエス・キリストの贖罪の犠牲のうえに基を置くわたしたちは,戒めを守らなければならないということである。また,真理を語り,義にかなった業を行わなければならない。わたしたちは自分の思いと行いと言葉とによって裁かれるのである。
第2に,『しえたげて得た利をいやしめる者』についてである。これは,わたしたちは隣人に対して公正に行動しなければならないということである。再臨の日に,雇い人を不正に虐げる人々に対して証人になると言われたのは,ほかならぬ主御自身である。
第3に,『手を振って,まいないをとらない者』についてである。これは,わたしたちはあらゆるたぐいの買収を拒否し,隣人とは公明正大に付き合わなければならないということである。神は人を偏り見ない御方である。神はすべての人間を同じ目で見られ,人はその戒めを守りさえすれば,その神の特別な愛を受けることができるのである。救いは無償である。それは金で買えるものではなく,条件として定められた律法に従う人だけが受けることのできるものである。贈収賄はこの世のものでしかない。
第4は,『耳をふさいで血を流す謀略を聞かない者,目を閉じて悪を見ない者』についてである。これは,わたしたちは悪いことやよこしまなことに心を向けてはならないということである。政治や世の中のあら探しをやめ,良いものに目を向けなければならない。万事に肯定的で健全な見方をしなければならないのである。」(『大会報告1973-74』p.97)
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