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2022年06月16日22:39

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映画『英雄の証明』

6/15(水)、シネマイーラ浜松で『英雄の証明』を観る。

既にイラン映画界の巨匠と言っていいだろう、アスガー･ファルハディ(1972- )の2021年作品でカンヌ国際映画祭のグランプリ他多くの賞を獲得した。
以下の通り、彼の最近の映画は殆ど観ている。
『彼女が消えた浜辺』(2009)、『別離』(2011)、『ある過去の行方』(2013)、『セールスマン』(2016)、『誰もがそれを知っている』(2018)。

彼の映画は徹底したリアリズムを積み重ねていく。登場人物も何処にでもいる普通の人達。
彼等の発言や表情や行動に悪意はなくても、ちょっとした誤解、その場凌ぎの嘘とも言えない程の嘘、そうしたものが折り重なって思わぬ方向に進展してしまう。
我々自身とて、振り返ってみれば、そんな事はままある。
最近はそれに加えてソーシャルメディアの影響も大きい。知らぬ誰かの身勝手な言葉が世の中を動かしてしまう事がある。
そうした意図しなかった事供のせいで、ある日「英雄」になった男が、次の日には「ペテン師」になってしまう。
怖ろしい事だ。

主人公の男性ラヒムは刑務所に収監されている。
事業を起ち上げようとして市中金融から大金を借りたが、パートナーが金を持って逃げてしまった。
ラヒムの妻の兄バーラムが保証人になっていたため、彼が金融から取り立てられる事となる。バーラムは娘の持参金迄使ってその返済に充てたと言っている。

ラヒムと妻は離婚した。
映画はラヒムの妻について何も語っていない、名前も離婚の訳も時期も、生きているのかどうかさえ。
ある会話の中でラヒムが「性格の不一致」と一言言っているのみ。

以下は映画の中での説明ではない、私の想像するところである。
バーラムはラヒムを告訴し返金を迫るが、そんな金があるならラヒムはもともと借金等していない。
割賦返済という手も当然選択肢にあったに違いないが、バーラムは頑なに一括返済しか認めず、結局ラヒムは刑務所に入る事となった。
バーラムがラヒムに恨みを持っているのは分かるが、彼を刑務所に送ったところで金は返ってこない。

バーラムの恨みの大きさは一体何処から来ているのだろうか？
まず「娘の持参金」とは何か考えてみたい。
イスラム社会では、結婚に際して新郎側が新婦側に金を贈る。これを「マフル」と呼ぶ。
バーラムにはナザニンという一人娘がいる。「娘の持参金」とは、つまり彼女が結婚する事となり、その相手から貰った金という事になるだろう。
その金を使ってしまったら、ナザニンはどうなってしまうだろうか？
映画の中で、ナザニンはいつもバーラムの経営する印刷店の仕事を手伝っていて、夫は映画に登場しない。ナザニンは、この事が原因で離婚させられてしまったのかもしれない。
イスラム社会では女性の立場は大変に弱い。離婚申し立ての権利は基本的に夫側にしかない。離婚された女性は世の風評もさぞ悪かろう。
先にも言った通り、ラヒムと妻(バーラムの妹)の離婚理由は分からないが、バーラムが妹も娘もラヒムのせいで離婚させられるハメになったと思い込んでいる可能性はある。それが彼の恨みに輪をかけているのかもしれない。

物語に戻ると、ラヒムはイランの軽犯罪者に与えられる刑務所の休日を使って仮出所、バーラムに告訴取り下げを頼みにいく事にした。
実は借金を返すアテができたのだ。
ラヒムが今度結婚を考えているファルコンデから連絡があり、彼女がある処でバッグを拾い、その中に金のコインが17枚入っていたと言うのだ。2人は神の贈り物かと喜んだ。
ラヒムはファルコンデと会い、まずは貴金属店に行って金貨の鑑定をしてもらった。だが、換金しても借金の半分程にしかならない事が分かった。
それでもラヒムはバーラムと面談し、半額の返金と、あとは仕事をして少しずつ返す事で告訴の取り下げを頼み込んだ。
だが、バーラムは、全額一括でなけばダメだとして話し合いは前へ進まない。

落胆したラヒムは、この金を落とした人を思いやる。
バーラムへの返金を諦めて、ラヒムは落とし主を探す事とし、チラシをあちこちに貼り、姉であるマリ夫婦にカバンを預けて、休日を終え刑務所に戻った。
人のいい姉夫婦は、ラヒムと前妻との間の子シアヴァシュを預かってくれてもいる。

翌日、刑務所にある女性から電話がかかってきた。チラシに刑務所の事務所の電話番号を書いておいたからだ。
会話でいろいろ確認すると、例のバッグはその女性が落としたものに間違いないと判断された。
ラヒムは姉に連絡し、女性が訪れたらバッグを返してくれるよう頼んだ。
そして翌日、その通り事は進んだ。
女性によると、絨毯織りの仕事を一生懸命してこの金は作った、博打好きの夫が知ったらすぐ使ってしまうから、この件は表沙汰にできない、そう言って慌ただしく帰っていった。
女性はお礼のつもりで、シアヴァシュに少しばかりお金を手渡した。
ただ、マリは女性から名も住所も聞かなかった。この事が、あとあとの事件に悪い影響を与える事になるとは、気づきもしない。

刑務所の署長等は、この出来事を知り、「正直者の囚人」という美談としてマスコミに知らせた。
ラヒムは刑務所で取材され、新聞やTVは「借金があるのに拾った金を返した英雄」と派手に記事にした。マスコミはこういう市民を感動させる話をいつも待っているのだ。
また、刑務所側にもある魂胆があった、刑務所内で囚人が自殺するという事件があり、刑務所の管理運営が社会から糾弾される事を何とか避けたいという思いである。

ラヒムの話題は慈善団体も知るところとなり、ラヒムの窮状を救うチャリティイベントを開催する事となった。
ラヒムは特別休暇をもらい、イベントに息子シアヴァシュと伴に参加した。
シアヴァシュは吃音に悩んでいるが、ステージの上で、「借金を返せなくて困っているお父さんを刑務所に戻さないで」と泣きながら訴えた。
この場にはバーラムもいた。会場の人々は感動し、募金が集まったが、バーラムは、シアヴァシュのスピーチのせいで自分が慈悲心のない悪徳人物と受け取られたと思い込み、喜ばなかった。
募金は借金総額からは遠く離れていたが、会場にいた人達は、一部返金を受け取って告訴を取り下げるようにとバーラムに迫った。
バーラムは何故私が悪く扱われるのかと怒りを膨らめたものの、シアヴァシュのためと説得され、やむなく一部返済を受け、残りは出所したラヒムが月々返済する事を認めた。
慈善団体の幹部は、ラヒムの就職先さえ斡旋してくれた。

ラヒムは喜んで就職先を訪れ、人事部長に会った。
ところが、事は前に進まなかった。
人事部長は、冷酷に、ラヒムにその話が真実だという証拠を提示しろと言いだした。金貨を返した女性をここに連れてくればいい、とも。
というのは、SNS上に、ラヒムの善行は作り話だ、ラヒムはペテン師だという発言が流れていたのだ。
ラヒムは困惑しつつも、落とし主を連れてくる約束をする。

しかし、名前も住所も知らず、ラヒムは途方に暮れる。
その徒労の様子は省くが、ラヒムは婚約者のファルコンデに落とし主の役をしてもらえるように頼み込んだ。
(映画を観ていて、ああそんな事はしない方がいいのではないか、と、背筋が寒くなる。)
ファルコンデは喜んでその役を人事部長の前で演じてくれたが、彼は、ラヒムが金貨を拾ったとした日(刑務所の休暇日)より前に、バーラムに金を返すと連絡しているのは辻褄が合わない、等々、細かな事を根掘り葉掘り問い質す。
ラヒムは些事だと思い、マスコミには省略していたが、本当に拾ったのは自分でなく婚約者だったと言わざるを得なくなる。その婚約者は今落とし主の役を演じて人事部長の前にいる。
小さな嘘、嘘とも言えない程の嘘が人事部長の不信感を膨らめていってしまう。

人事部長の許には、ラヒムに都合の悪い暴露情報を伝えるメールが何処からかもたらされていたのだった。
ラヒムはその情報源はバーラムに違いないと思い込み、彼の印刷店に押し掛ける。
そこにはバーラムの娘ナザニンもいて、ラヒムに悪口を吐く。
興奮した彼はバーラムに掴みかかる。
この乱闘の様子は店内の監視カメラに録画されていた。

この動画は慈善団体に送信された。
(人事部長にメールを入れたのも、動画を送ったのもどうやらナザニンだったらしいと、あとから想像された。ナザニンのラヒムに対する恨みも、バーラム同様に大きなものだったに違いない。)
慈善団体の幹部は、ラヒムに対する怒りを露わにし、募金を提供する事はできないと言いだす。
慈善団体は自分達の社会的立場を守る事が何より大事である。SNSで出回っている噂が真実か否か確認する以前に、チャリティ活動をした自分達が信用を失ってしまう事の方が怖い。信用のない慈善団体に寄付を申し出る人等いないだろう。

動画は遂にSNS上にも広く拡散されてしまった。

物語はまだ人と人の間の右往左往を続けるが、ラヒムの立場は完全に失われていってしまう。
ラヒムは刑務所に戻る事となる。
ラヒムを入り口近く迄シアヴァシュとファルコンデが送ってくれたのが唯一の救いである。少なくとも2人はラヒムを信じ、出所を待ってくれる。

監督･脚本　アスガー･ファルハディ
脚本　ガザル･ラシディ(共同)
撮影監督　アリ･ガーズィ
美術監督　メーディ･ムサヴィ
編集　ハイデー･サフィヤリ

出演　アミル･ジャディディ,サハル･ゴルデュースト,サレー･カリマイ,マルヤム･シャーダイ,モーセン･タナバンデ,サリナ･ファルハディ(*)

(*)ナザニンを演じたサリナ･ファルハディは監督の実娘。

受賞　カンヌ国際映画祭グランプリ,アジア太平洋映画賞最優秀監督賞,ナショナル･ボード･オブ･レビュー脚本賞/外国語映画賞他多数

2021年/イラン･フランス
　

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