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2022年03月11日00:00

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旧約聖書後半 特講(K-9)

【ヘロデとゼロテ党(熱心党)】
『新約聖書』に出てくるもう二つのグループが,『新約聖書』と『旧約聖書』の間の時代に出現した。一つはヘロデ・アンティパスの勢力伸長を当時流布中のメシヤ思想の成就だとして,その考えを説き,自分たちの計画をじゃまだてしそうな人々と争った。この政党が宗教の党派であるパリサイ派と組み,救い主を自分たちの政策のじゃま者と見てイエスに反対したのである(マタイ22:16参照)。
ヘロデ党と逆の立場に立ったのがゼロテ党である。この党は紀元6年に,ローマの課税に反対してガリラヤのユダを頭に結成された。この反抗者たちは異邦人の支配と影響を嫌い,ユダの独立を求めるという点でマカベア家の精神を幾らか受け継いでいるが,彼らが理想としたのはマカベアではなく,ピネハス(民数25:7-13参照)であった。
ピネハスは,荒れ野で臆面もなく神の律法を破ってイスラエル全家の安全を脅かした男女を殺した。主は神の律法を守護したピネハスの「熱心」を褒められた。それで,ゼロテ党はローマ転覆のための暴力は正しいと理由づけた。彼らは外套の下に短剣を忍ばせて群衆に混じることがあったので,ローマ人は彼らを,ラテン語の短刀を意味する語からシカリと呼んだ。ゼロテ党は親ローマで知られた人々や時には直接ローマ人を暗殺した。彼らは暴力的ではあったが,ローマを倒してこそ神の王国が来るという考え方を基盤に自分たちを正当化し,実に宗教的であった。その呼び名が,モーセの律法にきわめて熱心なことを示している。紀元6年の最初の暴動はローマによって鎮圧されたが,その後残党が砂漠に逃れ,救い主の時代にゲリラ戦法でローマを悩ました。イエスの死後,ローマに対する謀反の先頭に立ったのは主として彼らであったが,それはやがて紀元70年のエルサレム滅亡という結果につながっていった。
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