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2021年09月06日07:19

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イザヤ53:3

【(17-22)イエスはいなかる理由で「悲しみの人で,病を知っていた」のか】
イエスは生涯を通じて悲劇と悲しみとを経験された。御自身の家族でさえも初めのうちはイエスをメシヤとして受け入れなかった(ヨハネ7:5参照)。イエスの郷里の人々はイエスを殺そうともした(ルカ4:16-30参照)。また,同胞であるユダヤ人もイエスがメシヤであるという事実を受け入れようとはしなかった(ヨハネ1:11参照)。一人の友はイエスを裏切り,もう一人の友はイエスを知らないと言った(ルカ22:48,54-62参照)。最後には「弟子たちは皆イエスを見捨てて逃げ去った。」(マタイ26:56)イエスの敵たちはイエスを十字架につけるよう強く求めた(マタイ27:22-23)。
ジョセフ・フィールディング・スミス大管長は次のように問いかけている。「キリストは悲しみの人ではなかったか。人々に拒まれなかったか。悲しみを知っておられなかったか。人々は(比喩的な意味で)主から顔を背けなかったか。人々は主を尊ばなかったのではなかったか。確かに主はわたしたちの病を負い,悲しみを担われた。しかし人々は主が神から打たれ捨てられたのだと思った。人々はそう言わなかっただろうか。以上のことは事実そのとおりである。」(『救いの教義』1:24)
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