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2021年08月13日23:47

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短編小説『記憶の貝殻』

『記憶の貝殻』

 私は別人に転移する。

 その事に初めて気づいたのは幼稚園の時だった。それ以前にあったかどうかは記憶に無い。前年の園児が丙午生まれだったため、次の年の生まれである私の代の園児数が急激に増えた影響なのか、教室増設が間に合わなかったのだろう、私が入っていた梅組の教室は講堂が使われていた。担任の沢井先生が立つ背後にはステージがあった。当時は自分にとってそれが当たり前だったので、変わった場所、などとは思わなかったが、その教室での幾つかの事柄を確かに覚えている。
 お昼ご飯の時にはバロック音楽が流れていたが教育の場に相応しいということだったのだろう。今でもその旋律を口ずさむ事ができる。しかし、その頃は楽器演奏の練習に身が入らず、ハーモニカがなかなか覚えられなかったので、残されて頑張った甲斐もなく(自分では頑張ったつもりは少しも無いのだが)鈴の演奏に回された事。そして最後に不思議に思った事、沢井先生が私の事を「竹本君」と呼んだ時、私の意識に違和感があった。確かに私は自分を竹本である事を自覚していたが、その同じ日のそれより少し前の時間に、講堂ではない、四角い小さな部屋、つまり普通の教室の中に居て、桜組の担任の春日先生に「石田君」と言われた事を覚えていた。
 それは、私が教室を間違えて桜組に入り、更に春日先生がそこの石田君と見間違えて、という二重の偶然ではない。私は呼ばれた名前を自分のものとして認識し、返事をしていた。竹本に変わったその日、幼稚園が終わって外へ出ると、石田が幼稚園バスに乗り込むところだった。石田は一瞬立ち止まったが、直ぐに向き直り、バスに入って行った。その場面の石田の眉を潜めた顔が鮮明に記憶に残っている。そして私はバスを通り過ぎ、そのまま竹本の家へ歩いて帰った。その事は何も不思議に思わなかった。なぜなら私の意識はその時既に完全に竹本になっていたからだ。
 後日、購買会(当時或るスーパーの事を竹本の母親はそう言っていた)で石田とその母親が手を繋いで歩いているを見かけた。石田の母親なのだから私には見覚えがあっても良さそうなものだが全く知らない顔だった。石田が通路を進みながら右へ左へと移動するものだから、母親はその度に真っ直ぐ歩くように声をかけたり、軽く頭を叩いて捕まえたりしていた。石田が振り向いて私に気づいた時、私も引き寄せられるように彼の後をつけている事に気づいて悪い事をしていると感じ下を向いて目を逸らした。
「あんた、竹本やろ?」
 私が顔を上げて頷くと、石田は自分の母親を指差した。
「僕のお母さん知っとーぉ?」
「うんにゃ。」私は首を横に振った。
「僕、あんたのお母さん知っとうよ。」
「ん?じゃあ、名前当ててん。」
 石田は直ぐに答えた。
「めぐみやろ?」
「うん。」
「オッパイが大きい。」
 すかさず石田の母親が子の頭をポンと叩いて叱った。
「あんた、なん言いよんね、馬鹿やないん、もう、お母さん恥ずかしいやんね。やめなさい。変なこと言ってごめんね、タカシ、行くよ。じゃあね、竹本君。」
 私は石田の母親の顔を見上げ、軽く頷いて石田の母親がやるように手を振った。
 後年、その時の事を思い出した。石田は私とは逆に以前は竹本だったに違いない。石田もその事に少し気づいていた筈だ。しかし、幼少の頃に石田と話したのはその一度きりだった。



「竹本っちゃん、ヤマダの店に行くやろ?」
「うん!」
 広田の声に、私は、つい振り向いて声を上げてしまった。広田とはいつも一緒に下校して、分かれ道の角にある駄菓子屋のヤマダの店に寄り、十円の駄菓子を買って分かれるのが日課だったからだ。小学四年生の五月、私は竹本から佐藤に入れ替わっていた。佐藤は、広田や竹本と殆ど話した事が無い内気な少年だった。
「どうしたんサトちん、サトちんも行く?」
「あ、いや、ヒロちゃん、やっぱり僕はいい。」
 広田が親友だった事は覚えていたが、その記憶より、広田の事が怖いという新しいイメージの方が私の意識の中で勝るようになっていたので、親友を失ったような辛さは少しも無かった。
「クジが新しくなっとうっちばい。」
「いい、帰る。」
 それに、家が広田や竹本の家とは反対方向だった。
 その数日前の、竹本から佐藤に変わった瞬間を覚えている。活発な少年ではあったが朝起きるのが苦手だった竹本の私は、いつも母が何度起こしに来ても起きず、もう家を出なければ学校に間に合わないという時間になってから飛び起き、ジャージに一瞬で着替え、食卓のパンを掻っさらうように取って家を出て行っていた。ところが、その日の朝は、竹本の母が起こしに来る前にスッキリと目が覚め、いつものようにジャージに着替えると、早起きをした自分に驚く母の顔を見ようと台所へ行った。
「お母さん、おはよう!」
 母は驚いて振り向き、急いで濡れた手を拭くと、私の顔を覆うように手を当てて揺すった。
「たける、どうしたと?お寝坊さんが珍しい。明日雪が降るばい。よく起きれたねえ。」
 母の手は玉ねぎ臭くて冷たかった。
「これから手が掛からんごとなればいいね。」
 母は私を抱きしめた。
「もう、やめて、分かったっちゃ。」
 幼稚園の頃に石田が言ったように、竹本の母の胸は大きかった。私はその胸を顔から無理矢理剥がした。
「パーンチ!」
 私が母の胸をサンドバッグにすると、母はお返しに私の頬へスローモーションのパンチを当ててきた。
「うえーっ!」
 スローモーションで顔を背けた後、私はもう一度向き直って母の顔を見た。母はいつもの優しい顔をして私を見下ろしていた。その時だった。
 私は目の前に背を向けて立っている佐藤の母親を見ていた。テレビのシーンが切り替わるように台所の景色が一瞬で変わった。しかし何もかも全て分かっていた。竹本の時より広い台所の真ん中に四人がけのテーブルがあり、出窓の花瓶に挿してある黄色い花は、前の日に佐藤が道端でむしって持ち帰り、母親が押入れの中から花瓶を引っ張り出して挿した物だった。父は製鉄所で働いていて三交替勤務。兄はあまり勉強は出来ないが大会で優勝したことがある中学生の陸上選手。そして自分は勉強が出来るが体育が苦手な内気な少年。これまでの佐藤の記憶が一瞬で湧いて来て、代わりに竹本の記憶が遠い過去のもののように薄れつつあった。突然の出来事に私はその場に突っ立っていた。佐藤の家の台所に立っている佐藤の母親の背中を見ていた。哀しいのか嬉しいのかよく分からない感情だった。佐藤の母親はとても優しかった。その佐藤の記憶は私の意識の中で既に竹本の母親の記憶を凌いでいたが、二人の母親の記憶が入り混じり、堪えきれなくなって、私は全身を震わせながら唸り声を漏らして泣いた。佐藤の母が振り向き驚いていた。
「あら、ユウキ?どうしたの?大丈夫?」
 泣き止まない私の頬に両手を当てて顔を覗き込んだ。やはり玉ねぎの匂いがした。
「怖い夢を見たんでしょう。」
 私は首を横に振ったが、母は私を抱きしめた。
「はい、もう大丈夫よ。」
 佐藤の母の胸は大きくはなかったが、優しい石鹸の匂いがして心地良かった。私は母の胸を押して離れた。母は少しおどけた顔で微笑んでいた。私は涙を拭き台所を出て兄弟二人の部屋の自分の布団に飛び込んだ。そして泣き顔を隠すようにうつ伏せになって死んだふりをしている間、涙が沢山出た。兄は部屋に居なかった。おそらく陸上の朝練に早くから出ていたのだろう。泣き顔を見られずに済んで安堵した事を覚えている。



 その後、私は、転移で抜けた後の人の事が気になるようになっていた。幼稚園の時の石田に会いに行く事は無かったが、竹本に対しては特別な興味を持って観察した。竹本は背が高く足も速くて、体育の授業では中心的な存在だったから、教室の女子たちにも好かれていた。彼は佐藤の私とは正反対の存在だったが、元は自分が竹本だったので彼のこれからの行動に興味があった。しかし、私は内気で、竹本のそばには強面の広田がいつも居るので、竹本に近づいたとしてもそれから先の振る舞い方が思いつかず、ただ机に着いて教室のみんなを観察していた。
「佐藤くーん。」
 隣の机の谷川さんが小さな声で私に話しかけて来た。彼女も殆ど話さない子で、幼稚園の時からずっと佐藤と一緒の組だった記憶はあるが、今ひとつきっかけが無く、話した事は無かった。
「佐藤君、最近竹本君の事ばっかり見てなぁい?」
「は?竹本っちゃん?いんや、見てないよ。」
 すると、谷川さんは顔を一度竹本の方に向けた後、私の目を覗き込むようにして言った。
「さっきもずっと見とったよ。竹本君の事が好きなんじゃないと?」
「は?」
 私は小声で返し、今まで全く話さなかった子がいきなりどうしたのか不思議に思い、谷川さんの顔をじっと見ていると、彼女の視線がゆっくり落ち始め頬や耳がだんだんと赤くなって行った。そして彼女はとうとう両手で顔を押さえてしまった。
「どうしたん。大丈夫?」
 谷川さんが病気になったのかと思って心配していると、彼女は突然立ち上がり、私の腕を取って廊下に連れ出した。その時、私の足に引っ掛かった椅子が後ろに倒れ大きな音を立てた。彼女は廊下の、教室の皆から見えない所で私の両肩を掴んだ。
「竹本君の事、誰にも言わんでよ、絶対誰にも言わんでよ、いい?」
「うん。」
 そう頷いたところで、教室の入り口から何人かの声が聞こえた。
「ヒューヒュー!」
「やった、告白やん、ガンバレー!」
「うそー、谷川さんと佐藤君?」
 皆の視線を一点に受けた事が無い二人は真っ赤になった顔を押さえた。
「違うっちゃ、」「なんでも無いっちゃ、」
 否定すればするほど冷やかしの声が多くなっていく。
「違うっち言いようやん。谷川さんが、」
 そう言いかけた時、彼女が私の口を両手で塞いだ。
「間接キッスやん!」
 その声で更に大騒ぎになって行く。
「ウソウソウソウソ!」
 廊下は教室の皆でいっぱいになっていた。
「もう、どうでもいい!」
 彼女はやけを起こして皆の中に分け入って行く。取り残された私はどうして良いか分からなくなり、顔を押さえたまましゃがみ込んだ。
「おおい、どうした。」
 そこへ首にホイッスルを下げた担任の佐久間先生がやって来る。先生の声を聞いた皆は一斉に教室に逃げ込み、しゃがみ込んだ私だけが浮き彫りになった。
「佐藤か?どうした?」
 見上げると、先生は私の体をあちこち見た後、屈み込んで私に「大丈夫か?」と訊いて来たが、私はその意味が分からずポカンと口を開けたまま先生の顔を見ていた。すると先生は立ち上がり教室に向かって言った。
「石橋、学級員長の石橋と桜井、職員室に来なさい。」
 佐久間先生はいつもおとなしい私がいじめられていると思い込んだらしい。谷川さんに竹本の事は口止めされたので言わなかったが、いじめではない事が分かると、先生は最後には大笑いしながら学級委員の二人を返し、もう一度私にいじめではない事を確認すると、小声で私に訊いた。
「谷川さんの事が好きなのか?」
「いや、別に好きじゃないです。」
「ん?そうか?分かった、よし。」
 そして先生と一緒に教室に帰ったが、何事も無かったというようにはなる筈もなく、教室の皆の笑いを堪える視線を受けた。
「もう、どうでもいい!」と言ってやけを起こした谷川さんは、視線は気にしないと心に決めたらしく、それからいつでも私に話しかけるようになった。



「今日一緒に帰ろう。」
 その日の放課後、初めて谷川さんに手を引かれて下校した。
「ちょっと、恥ずかしいけ手ぇ離して。」
 彼女は「あ、ごめん。」と手を離した。
「言っとくけど、」
 そう言いかけたまま彼女は顔をつんと上げていた。それから県道沿いの歩道を二人とも無言で十歩ほど歩いた。
「なん?」
 私がそう言うのを待っていたかのように彼女は素早く話を続けた。
「あたし、佐藤君の事好きな訳じゃないけぇ。勘違いせんでね。」
 彼女の横顔はつんと上を向いたままだった。
「じゃあ、僕のこと好かんの?」
 何気なくそう訊いてみた。彼女は私の顔を見て、人差し指を左右に振りながら説明した。
「別に好かん訳じゃないけど、好きじゃないって事。好かんって言うのは嫌いって事やろ?佐藤君の事は嫌いじゃないけ、好かんじゃない。分かるぅ?」
 何やら難しかったので私は適当に答えた。
「うん、分かるよ。じゃあ、好きなのは?」
 彼女の指が止まった。
「今はダメ。後で教えるけ、あたしん家(ち)に来て。」
「うん。え?今から?」
「そう、メロンがあるけ食べていいよ。」
 メロンに釣られた訳ではないが、佐藤になってから寄り道をしない私が、しかも女子の家に行くのは私にとって事件だった。
 途中、谷川さんに言われるまま生垣の間に潜り込んでついていくと広場があり、その先の生垣を潜った後、谷川さんが振り返った。
「なんで?」
 唐突な質問に私は眉をひそめた。
「なにが?」
「なんで、あたしについて来るん。」
「はあ?一緒に帰ろうっち谷川さんが言ったけやん。」
 谷川さんは少し黙っていたが意を決したように、また早口で言った。
「あたしの事が好きなんやないん?」
 私が少し考えていると、
「うそぅ、あたしの事が好きなん?すごーい、あたしモテるー。」
 彼女は飛び跳ねてランドセルを鳴らした。
「違うよ、考えよったんよ。好きっち言ったら本当に好きみたいやし、好きじゃないっち言ったら好かんみたいやし。好かんっちゅう訳じゃないっち言ったら良いんかね?」
 彼女は鼻で笑った。
「知らんよう、もう。なあんだ、モテるっち思ったのに。あ、そうそう、佐久間先生に言ってないやろうね。」
「言ってないよ。」
 谷川さんはまた向き直って早足で歩き出し、彼女の家に着くまで二人とも黙り込んでいた。
 見覚えのある道だったが佐藤としては一度も通った事は無かった。
「谷川さんの家、ここじゃない?」
 これは竹本の記憶なのだろうか。門から階段を十数段上がった所に玄関がある、二階建ての新しい家だった。
「え?なんで知っとぉん?うち来たことある?」
「ないよ。」
「じゃあなんで知っとん?」
「当てずっぽ。」
「ビックリしたぁ。」
 二人は笑いながら家の玄関に着いた。玄関を開けると谷川さんは大きな声で「ただいまー」と言った。佐藤の家の玄関の倍の広さはあった。長い階段の奥から彼女の母親が出て来て、私を見て少し驚いていた。
「おかえり、彼氏?どうぞどうぞお上がり。」
「もう、馬鹿やないん、違うよ、あたしの子分。」
「子分じゃないです。佐藤です。お邪魔します。」
 谷川さんの母親は嬉しそうだった。二人で二階に上がると、私はしばらく部屋の外で待たされた。彼女は部屋の片付けをしているようだった。
「いいよ」の声で私は谷川さんの部屋に入った。まず今まで嗅いだことがない少し甘い匂いがした。フローリングにピンク色のマットが敷かれていて、中央に低くて小さな白いテーブルが置いてあり、部屋の壁側にはベッドがあった。私は直ぐに窓辺に行って外を眺めた。
「いいなあ、僕も自分の部屋が欲しいなあ。」
 振り返ると、彼女の顔が少し引きつっている。
「この部屋に男子を入れるの初めて。なぁんか緊張するぅ。」
「僕も女子の部屋に入るの初めて。二階やし、ベッドがあるし、谷川さんとこお金持ち?いいなあ。」
 二人はカーペットに向かい合わせで座り、テーブルに両肘を突いて顔に手を当てた。
「なぁんか、可笑しくない?」
 谷川さんも肘を突いて同じ格好をしていた。
「うん、なんか顔が近いね。」
 二人は大笑いした。
「じゃあ、あたしがこっちに来るね。」
 彼女は私の左側に来ると、同じ格好で座ったので、また大笑いになった。
「なぁんかやっぱり緊張する。あ、メロン!持って来るね。」
 彼女は立ち上がって階下に降りて行った。



 彼女が部屋に居ない間、私は部屋を見回していた。男兄弟の部屋には有りえないような物ばかりがあった。当時流行ったガラスケースに入ったフランス人形、りかちゃん人形、クマのぬいぐるみ、レースの掛かった鏡台。赤い服。そして男性アイドル歌手のポスター。とても派手に思えて見ているのが楽しかった。しばらくすると、メロンを乗せたお盆を抱え、谷川さんがゆっくり部屋に入って来た。
「お待たせー。」
 メロンを食べるのは久しぶりだった。二人とも歓声を上げながら食べた後、ほぼ同時に体を後ろに倒して両手を伸ばした。
「美味しかったー!ごちそうさまでしたー。」
 私がそう言うと、彼女は仰向けになったまま小声で言った。
「あのね、言うね。」
 彼女は顔を両手で隠した。
「なん?言ってん。」
 彼女は顔を隠したまま話し始めた。
「あたし、友達が居らんかったけ誰にも話さなんかったけど、佐藤君友達よね。」
「うん。僕友達ばい。」
 私も佐藤になって以来友達が居なかったので彼女にそう言われてとても嬉しかった。
「絶対友達やめんでね。佐藤君の事ね、好きよ。でもね、本当に好きなのはね、」
 彼女の横顔から涙が溢れた。
「竹本君。んー、竹本君。佐藤君が竹本君やったら良かったのに。」
 私はちょっと可笑しくて笑いそうになったが、「うん」とだけ言って微笑んで見せた。彼女は顔に当てた手の隙間から私を覗いていた。
「聞いてくれてありがとう。」
「うん。」
 彼女は恋の暴露という大仕事を終えて伸びたようになっていたが、突然起き上がって、私の方を向いた。
「ねえ、佐藤君の秘密も教えて。」
 私は少し驚いて、うつろな気持ちで体を起こした。
「じゃあ、うそじゃないけ、絶対信じてね。絶対うそやないけ、信じてくれる?僕も今まで誰にも言ってない。ヒロちゃんがずっと友達やったら絶対言っとったやろうけど。」
 谷川さんは不思議そうに私の顔を見た。
「ヒロちゃん?……、言ってん、絶対信じる。あたし佐藤君の友達やけ。信じる。」
 私は葛藤していた。変人と思われたらせっかく出来た友達が居なくなると。しかし勇気を出して話し始めた。
「幼稚園の時にね、頭の中が入れ替わったんよ。」
「え?……手術、したと?」
「違う。僕、石田っていう人やったんよ、でも幼稚園の時、竹本になって、そしてちょっと前に佐藤になったと。」
 谷川さんは困惑していた。
「全然分からん、どういう事?竹本ってあの竹本君の事?それじゃあ、前の竹本君は佐藤君やったと?で佐藤君は竹本君やったと?分からぁん。」
 私は泣きそうになりながらゆっくり説明しようと思った。
「あのね、僕は、前は竹本やったけど、前の佐藤が竹本やったかはまだ竹本っちゃんに訊いてないけ分からん。僕はね、怖いと。」
 私はとうとう涙を流し始め、しゃくり上げながら言葉を詰まらせた。
「僕がまた、別の人になったら、また友達が居なくなる。ヒロちゃんと仲が良かったけど、今は怖い。僕がまた別の人になったら、谷川さんと友達じゃなくなる。」
 私は佐藤の母の前で泣いた時のように唸りながら泣いた。彼女は私のそばに寄り、頭を撫でた。
「まだよく分からんけど、でも、ずっと友達で居ようね。佐藤君も絶対友達で居てね。」
 私は掌で顔を覆って頷いた。



 その日から私と谷川さんは毎日一緒に帰った。私の家は狭く部屋が兄と一緒だったので、いつも彼女の家か、彼女の家の裏の森にあるコンクリートのテーブルのそばで遊んだ。彼女は人形の着せ替えが好きだったので、私も人形用の服作りを手伝ったりした。
「ねえ、あたしが竹本君と結婚したらさあ、子供にユウキって名前つける。いい?」
「いいよ。でも、竹本っちゃんに聞かないとね。」
「そうよねぇ、でも、その前に竹本君が私の事好きになってくれないとね。」
「そりゃあそうやけど。」
「あ!」
 彼女は何か思いついたような顔で斜め上を見たまま動かなくなった。
「ねえ、ねえ、谷川さんっち時々止まるよね。」
「なんそれ、もういいけ、いい事思いついた。佐藤君が竹本君と友達になって、そしてあたしとも友達になったらいいんよ。いい考えやろ?」
 谷川さんは、いつも人前では大人しく、誰とも喋らないが、私と居ると、よく喋り、よく笑い、そして強引で我がままな事を言う女の子だった。しかし、私は無口で何を喋ったら良いかよく分からない子だったので、彼女の発言に合わせていれば良く、いつも飽きる事なく過ごす事が出来た。
「僕が竹本っちゃんと友達になると?でもどうしたら良いか分からぁん。それと、竹本っちゃんと友達になるんやったらヒロちゃんと友達にならんといけんやろ?もっと分からん。」
 彼女は不思議そうに私の顔を見た。
「でも、広田君と親友やったんやないと?そしたらすぐ仲良くなるよ。」
「そんなん言っても、僕が竹本の時やけそんなん無理よ。」
 彼女は困った顔をした。
「広田君と竹本君ってどこで遊びよるん?」
「ヤマダの店。」
「じゃあ、ヤマダの店に行こう!」
「ええっ?どうしよう。」
 谷川さんは既に行く気満々のようだった。
「私は佐藤君と一緒だったらなんでも出来るよ!佐藤君もみんなと一緒に居ったら仲良くなるんやないん?広田君って喧嘩する人?」
「違うと思うけど……」
 結局谷川さんに言いくるめられて、明日の放課後ヤマダの店に行くことになった。彼女は私と友達になって随分と行動的になったのは間違いなかった。



 明くる日、私は広田をじっと観察していた。私が佐藤になってから、なぜ広田の事が怖くなったのかを考えていた。初めは顔が怖いと思っていたが、何もそんな怖い顔はしていない。以前「サトちんも行く?」と誘われた事もあった。もしかすると、友達になれるかもしれないと思えるようになっていた。広田と目が合った瞬間に声が出た。
「ヒロちゃん、あ、えっと、今日ヤマダの店に行く?」
 広田は驚いて私の方に近づいて来た。
「あ?どうしたんサトちん。サトちん行くと?俺も行くばい。一緒行こう!竹本っちゃん、サトちんがヤマダの店に行くっちばい。」
 広田が大声で叫ぶと、竹本が寄って来た。
「谷川さんも行きたいっち言いよったけ、一緒に言っていい?」
 不思議と言葉が出てきた。
「いいばい、行こう!」
 竹本が私のそばに来て肩を叩いた。すると横に座っていた谷川さんが立ち上がって竹本に近づく。
「あ、あの、竹本君、ふふ、ああたしなんも知らんけどいい?」
 彼女はどもりながら、必死で笑顔を作って喋っていた。
「いいよ、全部俺が教えちゃる。」
「本当?いやん、嬉しい!絶対行く行く!」
 谷川さんは興奮して竹本の手を両手で握り飛び跳ねた。そして四人とも大笑いになった。
 次の休み時間、竹本達が教室を出て居なくなると、谷川さんが立ち上がって私の腕を引っ張っぱって廊下に連れ出したが、もう教室の皆も私たち二人のことは慣れっこになっていて、笑う者はいたが冷やかす者は誰も居なかった。
「ねえ、あたし馬鹿っぽくなかった?なんか、後で考えたら、もう、もの凄くはしゃいどったなあっち思ったけど。どうしよう。」
 彼女の眉毛が八の字になって額にシワが寄っていた。
「んん、なんかね、でも落ち着いたらいいんやない?大丈夫よ。」
「ああん、嫌われたらどうしよう。佐藤君やったら私の事嫌いになる?ねえ。」
 考えてみた。そのあいだ中彼女は八の字顔で私の目を覗き込んでいた。
「楽しいけ、いいんやない?多分好かんごとなってないと思うよ。」
「本当?良かったぁ。あたしがまた興奮し過ぎたら肩を叩いてね。そしたら大人しくするけ。お願いね。」
「うん。」
 いつのまにか私は谷川さんの保護者のような役目を担う事になったが、それも悪い気はしなかった。

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