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2020年10月31日00:00

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イザヤ48-54章(17-3)

【イザヤ48:1-8 ユダの背教】
イザヤ48章の1節と2節には,イスラエルが神の示された道から背教したことが書かれている。主に選ばれたこの民は,「バプテスマの水から出て」きながら(1ニーファイ 20:1.イザヤ48:1-2を1ニーファイ20:1-2と比 較),「主...にとどまることをしない。」(1ニーファイ20:2)言い換えれば,背教したのである。このため,主は御自分の全知全能を示そうと決意された。主は「成った事を,いにしえから告げた」と言われた。事が起こる前にそれについて話しておいたということである。そして「にわかにこの事を行い」,実際に行われた(イザヤ48:3)。主の言葉によれば,主がこのようなことをされたのは,背教者たちに「わが偶像がこれをしたのだ」(5節)とか,「見よ,わたしはこれを知っていた」,つまり「そんなことは起きる 前から分かっていた」などと言わせないようにするためであった。また,主は怒りをおそくすると約束されたが,その栄光を偽りの神々に与えることや,その御名が汚されるままになっていることは,決然として拒まれた(11節を1ニーファイ20:11と比較)。以上のことから,主が将来のことを人に知らせる理由が一部明らかになろう。これこそ,主がまことに神であられることを示す確固たる証拠である。 物言えぬ偶像にはこうした超人的なことは不可能だからである。
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