mixiユーザー(id:19325581)

2020年09月11日00:00

15 view

イザヤ24-35章(15-24)

【イザヤ32 イスラエルはメシヤが帰還の準備を始められるまで荒れ廃れる】
オーソン・プラット長老は,この聖句が古代のイスラエ ルだけでなく末日聖徒にも当てはまると考えていた。末日 聖徒も合衆国東部の家々を追い出され,ロッキー山脈の辺 境にたどり着いたからである。
「イザヤよ,あなたは現在生きている民と同じように見 ていたのだろうか。ある民が砂漠に行き,感謝と歌の声を ささげる光景を見ていたのだろうか。その砂漠と荒れ野が 不毛の状態を贖われ,エデンの園のようになる様子を見て いたのだろうか。イザヤはこう答える。『そのとおりであ る。わたしはそれをすべて見ていた。そしてわたしの時代 の2,3千年後に生まれてくる世代のために,記録として 書き残したのである。』しかし,イザヤよ,わたしたちは,民がその砂漠に集合し,神の手の器となってそこを贖うことになる,と考えていてよいのだろうか。そのとおりであ る。イザヤはすでにこれをすべて伝えている。もう一度イ ザヤの32章を読んでみようではないか。『しかし,ついには 霊が上からわれわれの上にそそがれて,荒野は良き畑とな り,良き畑は林のごとく見られるようになる。』良き畑とは 何か。良き畑に変えられるはずの荒れ野のことである。『正 義は平和を生じ,正義の結ぶ実はとこしえの平安と信頼で ある。わが民は平和の家におり,安らかなすみかにおり, 静かな休み所におる。』
わたしたちはミズーリやイリノイでそのような暮らしを しただろうか。それらの州で絶えず平安と信頼のうちに生活しただろうか。そうではない。イザヤが『もてあそばれ,慰めを得ない者よ』と書いているように,わたしたちはも てあそばれてきたのである。どの州であっても,シオンではどこも同じであった。それはシオンについて語る現代の 啓示とも一致している。主はこう言っておられる。『町から 町へ,会堂から会堂へと追われる。そして,残って受け継ぎを得る者はわずかであろう。』(教義と聖約63:31)しか し,シオンが荒れ野の中へ出かけて行く時が来れば,事態 は変わることだろう。『わが民は平和の家におり,安らかな すみかにおり,静かな休み所におる』はずである。
民が山地の荒れ野に上って行ったら,中心となる都市が できるのだろうか。確かにできる。イザヤはここで次のよ うに言っている。『しかし林はことごとく切り倒され,町も ことごとく倒される。』28年前,この偉大な町の基を据えて 以来,わたしは幾度そのことを考えたことであろうか。この民はこの預言の成就についてどれほど思いを巡らしてき たことであろうか。彼らはこの峡谷を挟む東西の山岳地帯 では吹雪や嵐が荒れ狂う様を目にしている。まさしく冬将 軍の猛威である。しかし,それと同時にこの山々のふもと に一つの町が建てられた。この町は,春は穏やかな気候の 恵みを余すところなく受け,作物が損なわれてしまうよう なこともない。何という違いであろうか。『しかし林はこと ごとく切り倒され,町もことごとく倒される。』これがエル サレムであるはずがない。パレスチナのエルサレム周辺の 地域には,気候的にこれほどの較差はない。これは末日の シオン,つまり山々の上に建つシオンのことを指していた のである。」(『説教集』18:148-149)
0 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する