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2020年09月02日05:21

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イザヤ24-35章(15-15)

【イザヤ28:23-29 種まきと脱穀のたとえ話に はどのような意味かあるか】
カイルとデリッチはイザヤのたとえ話の美しさと力強さ について説明し,この「いのんど」(イザヤ28:25)という のは恐らく黒けしのことであり,クミン(25節参照)とい うのは現代のクミンと同じものであろうと言っている。ど ちらの実も,薬あるいは調味料として用いられた。
「耕すことは......地を開くと書かれているが,これは土を起こしてあぜを作ることである。まぐわをもって…土 をならすのは,種をまく準備である。それゆえ,絶えず行 う作業ではないが,種をまくに先立って土壌を整えるため にはどうしても必要なことである。平らに整地された土地 にあぜが作られると,......次に種まきと植え付けが始まる。 この作業はまた,種の種類に応じて様々な方法で行われる。 ...小麦の種の場合はうねに従って'慎重にまく。......つま り,ほかの二つの作物のように,適当にまき散らすという ようなことはせずに,うねに従ってきちんとまいていくと いうことである。そうしなければ,伸びてきたときに密生 しすぎて,互いに枯れてしまうからである。...大麦の種 は,それ専用に特別に区画された畑か,あるいは立て札な どで特に指定された場所にまかれる。......さらに......スペルト麦〔ライ麦〕が...その端に沿ってまかれる。つまり, スペルト麦が大麦畑の外周を作るのである。農夫はこのよ うに天性の直観によって種まきを行う。なぜなら,天地創 造のときに農耕の基を定められた神が......人間にも知恵を 授けられたからである。......
(27節は),農夫たちが今なお行っていることを見ても, 彼らが神から教えを受けていることがよく分かる。農夫は 麦こき用の機械は使わない。......そんなことをすれば,も っと傷みやすい種類の穀物を完全にだめにしてしまうから である。代わりに棒で打つ。......パン用の麦は砕くのだろ うか。砕くようなことは決してない。馬に車をつないで,…全力で作物の上を引かせたら,そのようなことにもなりかねない。......だが,農夫が畑や果物を扱う際に踏む賢明な天与の順序は,教師たる神御自身がその国民を扱う際に踏む賢明な手順を象徴している。イスラエルはエホバの畑である。エホバの懲罰は,その畑を強制的に起こし,返し,耕す『すき』や『つるはし』である。だがそれはいつまでも続くわけではない。畑がそうして緩んで軟らかくなり,再び肥沃になると,苦しみの多いすき返しは終わり,今度は様々な方法で,しかもあふれるばかりの恩籠によ り,恵みの種まきや植え付けが行われる。さらに言えば,イスラエルは,エホバの打ち場の子である(イザヤ21:10参照)。主は打たれる。打つばかりか,たたくことさえされ る。しかし確かに打ちはするが,主はいつまでも打ち続け られるわけではない。それはカスパリが説明しているとお りである。『主は国民すべてを同じ厳しさで罰せられない。 人によっては,ほかの人よりもはるかに厳しく罰せられる 人もいるが,そのような人に対しても,いつまでも罰し続 けるわけではなく,神の御心が果たされて,罪のもみ殻が 除かれれば,罰はすぐにやむのである。そして,もみ殻以外の何物でもない極悪人と,国そのものの殼とが罰によって吹き散らされるのである。」(イザヤ1:25;29:20-21を比較)これが,このたとえの裏に隠された厳粛な教え,愛に満ちた慰めである。エホバは罰を与えられるが,それはその人が祝福にあずかれるようにするためである。エホバはふるいにはかけるが,滅ぼすことはされない。エホバは御自身の民を打つことはされず,代わりにたたかれる。また,たとえ裁きを前にしてエホバに打たれることがあっても,自ら慰めを受けることができる。決して砕かれたり損なわれたりすることがないからである。」(『注解」7: 2:14-17)
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