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2020年09月01日03:58

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イザヤ24-35章(15-14)

【イザヤ28:17-22「正義を,下げ振りとする」 とはどういう意味か,また「床が短くて身を伸べることが で き ず 」 と は ど う い う 意 味 か】
キリストを霊的な「家」の隅のかしら石としている人は, 公平と信仰とをもって主の正義の裁きに応じる備えができ ている。イエス・キリストはその人の弁護者となり,御父 に執り成しをしてくださる(教義と聖約45:2-5参照)。
「わたしは公平を,測りなわとし,正義を,下げ振りと する」という表現は,建築に関する用語を用いた言い方で あり,前節の表現法を引き継いでいる。キリストは隅のかしら石であって,すべての石はここを基準にして据えられ る。ある程度の重さを持つ物を糸に縛って下げれば,それ は鉛直線を示す。家を建てる者は,下げ振りを使ってこの 鉛直線を探す。この測定器を下げ振りという。正義と公平とをその測定器として用い,救い主はまず隅のかしら石(御自分)から始めて,完全で強固な家を建てられるよう,地取りをされる。この家はいかなる嵐にも耐え得るものである。これ以外の方法,とりわけ「死とたてた契約」(イザヤ 28:18)などによって建てた家などは,嵐で簡単に押し流されてしまう。
床と短い夜具を使った表現は,下げ振りを使った表現よりもずっと簡単に理解できよう。一読して明らかなように,もし人がイエス・キリストの贖いの血で覆われていなかっ たら,まるで短すぎる床の上で,自分の体も覆えない小さ い夜具をかけて眠っているようなものだ,ということであ る。罪は外見的にはどんなに魅力的に見えても,決して人 間の内面的な欲求を満足させることはできない。罪深い人 というのは,短い床に寸足らずの夜具をかけて眠っている 人間のようなものである。寝返りを打ち,向きを変え,絶 えず安らぎを求めるけれど,決してそれを得ることができない。キリストの罪の贖いによって覆われる,すなわち贖いの効果を受けることができるのは,真心から神を信頼し その聖なる戒めを守る人だけである。
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