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2020年08月26日17:02

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虐殺器官 アニメ

虐殺器官 を見た
伊藤計劃の小説のアニメ化ということだが
原作は読んでいないので どんな差があるのかはわからない

異様な作品で
相当話題になったらしいが
見ずにいた
自分の中にあるアニメーションというものに対する拒否感が
大げさなタイトルと相まってそうなったのだと思う
もっと早く見ておくべきだったと後悔している

物語の中心に据えられているテーマは
おそらく見るもの自身によって変わるだろう

大筋としては テロが頻発する近未来の世界で
厳重なテロ対策が敷かれている
その成果もあって 先進国においては平和が戻りつつある
しかし
途上国では内戦が頻発し 
そこでは大量虐殺が目に見えて増加している
世界は そこにある一人の人物が介入していることを知り
その人物ジョンを捕獲しようと計画が実行される
その任務に当たった 特殊部隊の隊員が
その現象のすべてに対し語り部となる

映画の主題は その彼の語る物語をどう捉えるかによって変わる

「人には虐殺を行う器官がある」
とジョンは言う
元となる発想は チョムスキーの生成文法だ
「人間は生まれながらにして言語の文法を生み出す能力を備えている」
というのが生成文法論だ
このせいでチョムスキーは学会から蛇蝎のごとく嫌われている
「人間は白紙の状態で生まれてきて 社会的な関係によってすべてを得る」
という タブララサの仮説として現在の社会学の根幹をなす前提が崩れてしまうからだ

生成文法と同じように 人には元々
「虐殺を肯定する器官が存在する」
とジョンは言う
器官言う言葉はわかりやすく言えば その機能をつかさどる集合体というようなイメージで使われている
人がまだ食料を貯蔵する技術を持たなかった頃
その集団の数を調整して生き延びてきた
それが積みかさなり 虐殺を脳内で正当化する論理構造が生まれた
ある一定の文法を繰り返し耳にすることにより
自分に関係のない他者が虐殺されることに無関心となり
虐殺を行うものも「仕事だから」という理由で
他者の死に無関心となる

人は共感や立場の置き換えによる同情を生活集団の基本構成倫理の根本に据えてきた
通常の場合 豊富な食料をいがみ合って争うより
強調して作業することの有利さに気付いたからだ
より厳しい状態においても できる限り争わずに分配することの有利な側面を重要視した
しかしあるレベルを超えると争い始め
強調路線を覆い尽くして虐殺が始まる
その論理性の齟齬をうめんがために
虐殺は自動的に肯定されなければならなかった
そこに 特定の文法が存在する というのがジョンの主張だ

実際にもう 先進国の人間は途上国の虐殺など関心はないだろう?
とジョンはいう
みたいものしか見ないようにできている
そして その無関心の一方の端に
虐殺を肯定する 人間の機能が働いている
という
先進国の人間が「ビックマックが食いきれなくてゴミ箱に捨てる生活」を守るためになら
虐殺はあってもいいと 古い時代の心の機能がそれを認めている
そして無意識にその言いつけに従っている
あとは少しその機能を手助けする文法で話をすれば
途上国は自ら虐殺を始める
愛国心だの民族独立だのといった思想や宗教上の理由は
後からいくらでもついてくる
途上国内部で 生き残るべき側と死ぬべき側を分ければいいだけのことだ

「仕事だから といえば虐殺が行える」
とジョンはいう
兵士ばかりでもない
ごくありふれたサラリーマンでも全く状況は同じだ
でもそんなことを考えることは絶対にない

もちろんこのあたりはアイヒマン裁判を前提においた話だ
有名なミルグラムの心理実験でも同様な結果は出ている

実際には 他者をして虐殺に導くというような文法は存在しない
実際の脳の働きは複雑系で
ただ幾つかの文法変化によって 特定の現象が誘発できるわけではない
アイヒマンはもっと数多くの選択肢の結果として生まれるものだ
それはすなわち
そんな文法など存在せずとも
人類は容易に虐殺を無視できるし
行うこともできるということに他ならない
アーレントが喝破した 普通の人間としてのアイヒマンは
大多数の人間と代替可能だ
ナチスが歴史となってしまった現在でもそれは同じである

この物語の 不気味なところは
およそその前提となっている 文化人類学上の話や 進化人類学 そして言語学や脳科学での学説が
どれを取っても突飛なものではなく
虐殺器官というような特殊な存在を除いて
ほぼ成り立つだろうと思われるところにある

別に こんな映画を見せられなくても
そんなことはわかりきったことで
正義などこの世にない
などと言い放つのは容易だ
映画のラストで主人公が 罪を背負ってでも新しい時代を始めるのだというセリフを
空々しいものとして嘲笑するのも簡単な話だ

チョムスキーは その生成文法理論を
社会的に応用することの是非について
彼の長い学者人生の中で一切明確に答えずに来た
そして 嫌味たっぷりに
それを行いたがる後進を嘲り続けている
そして 自信は高々と彼のアナキズムを喧伝し
政府の悪行にノーと言い続けている
自分の属する国家が途上国で虐殺を行うことを許していれば
その政府のもとに生活する国民はどうなるのか?
それに慣れてしまえば いずれ自らの心も失う
そう言って 夢物語と馬鹿にされながらも
活動を続けている

ちょむ先生 なんか知ってるんじゃないか?
この映画を見てそう思った
「知らなくていいよ 心が正しいと思うように行動すればいい」
そう言うだろうか?

「先生の言語学は裾野が広がって生物学のようですね」
と 日本人の学者が問うた
チョムスキーは
「私のやってることは最初から生物学ですよ」
と言ってのけた
やはりそうだったんだ
その時 先生の言ってることの1/10くらいは理解できたような気がした
あとは自分でやれってことなんだなw


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