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2020年06月19日13:44

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『一握の砂』勝手解釈

石川啄木の短歌
【頬につたふなみだのごはず一握の砂を示しし人を忘れず】

初見〈頬に二つ涙のゴワス〉と読んでしまった事を一生忘れず。という感じですが、
「のごはず」が〈ぬぐわず〉である事に気づくのに30秒くらいかかったかも知れません。

石川啄木について知識がほとんど無いので暴走すると思いますが、この歌について解釈した人はごまんと居るでしょうから、あえて調べずに辱めを受けます。

問題は「一握の砂を示し」たのは何故か。
「砂」というのは、生物由来の化石、溶岩(いろんなものが混じっている)が冷えた岩、押しつぶされて岩になった物、が地表で風化した物。
「人」が、何かが〈こんな風になってしまう〉という〈哀しい出来事〉を作者(以降、啄木だという事にしときます)に示したくなるほどに心がズタズタになったので「なみだ」が「つたふ」のを「のごはず」いるのです。
〈哀しい出来事〉とは何か。岩が砂へ。長い間に形成された大切なものが崩れ去った。
歌集の直前にある歌で「泣きぬれて」いるのは「われ」である事から
それは「人」(というくらいだから親兄弟ではない)と作者の共通の知人が亡くなった。あるいは一緒に成し遂げる事が出来なかった。「人」は男のようでもあり、女のようでもある。ここは男である事にすると、色恋でなくなり、その方が私にとっては興味深い。親友との思い出かな。
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