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2020年05月22日22:39

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超短編『荒野の異種格闘戦』

『荒野の異種格闘戦』

 コンビニに缶入りの酒を買いに行こうと思っただけである。
 最寄りのコンビニは直線距離にして五十メートルほどだが、通りに出た所で目の前に長い塀が立ちはだかっている。そのため、周り道をしなければいけない。左右のルートはほぼ同じく百五十メートルほどになる。その辺に寝転がっている猫なら塀を伝って最短距離で行けるのだろうが、小学生ならまだしも、大人がそれをやろうとすれば、塀によじ登っただけで通報されてしまうだろう。あるいは、途中、ドーベルマンを飼っている家などがあれば、私にとって大事件になる。と、コンビニに着くまで暇な脳は、何でもない作り話を膨らまそうとしていた。今時ドーベルマンを飼っている家がこの田舎都会に存在するのだろうか。
 家の前の車道を渡った後、向かいの歩道まで来ると、寝そべっている猫たちの警戒レベルが上がったようで、私の動向によって逃げる道を瞬時に選択するためであろう、皆身構えている。ここで私はわざと立ち止まった。猫たちがどう出るかによって進む道を決めようと思ったからである。勿論、いじめてやろうと思っているのではない。しかし猫にとってどうかは知らない。逃げ道を模索するための判断材料だった人間の動向が、事もあろうに彼ら猫たちの動向によって決められるという事を猫たちが察する事が出来るだろうか。猫は至極感覚的な筈である。もし、猫の大きさが虎ほどもあれば躊躇なく人間に襲いかかるか相手にしないかであろう。しかし事実は人間の体重の十分の一ほどである。猫はその事をよく理解した上で警戒している。全く動かない猫たち。彼らは全くの受け身である。
 ところが、一匹の茶トラ猫が僅かな駆け引きに出る。身を低くした警戒態勢から二、三歩左方向へと進んで人間の出方を見る。釣りで言うところの「しゃくり上げ」である。そうして人間の注意を引き、早期決着へと結びつける作戦なのだ。しかし、相手の挑発に簡単には乗らないのが超社会的動物、人間である。これまで、彼はとても猫に近い人間「石投げおじさん」を相手に百戦錬磨の経験を積んで来たと見える。微妙に体の動きにトラップ性を含んでいて、テニスの試合でネットに出たプレイヤーの目つきにとても似ている。
「罠にかけてやる」
 彼の目は正確に私の目を捕らえて挑発していた。しかし、彼は私が挑発に乗らないという事にも薄々感づいている筈なのである。私は彼の事をそう理解できた。彼は明らかに待っていた。
「今度はお前の番だぞ」
 彼の目はそう言い、柔道の試合中、技を仕掛けない相手の非をお手上げポーズで審判にアピールするかのように、私にプレッシャーをかけているのだ。
「お主、出来るな?」
 私は微かな声を発した。耳の良い彼には聞こえた筈である。しかし表情は何も変わらない。
「一つ訊いていいか?」
 これは私が今考えつく唯一の心理戦法である。猫は動かない。
「猫のお前たちは、瞬きせずにどれくらいいられる?それとも、お前たちの瞬きが速すぎて俺に見えていないだけなのか?」
 そう言うと私は縮めていた首を伸ばし、目つきにありったけの優しさを表現しようとしていた。答える筈もない猫。そして、何か答えらしき情報を発してくるかもしれないという偽りの期待を風に捨てた私は、ゆっくりと左のルート側へ体を向け、猫たちが驚かないようになおゆっくりと左右の足を進行方向へと運んだ。
「これくらい目蓋を開けたままに出来ないでどうする」
 背後から低い声でそう言われた気がした。私は歩みを止めない。
「確かに。お前たちは戦国時代に生きる武将たちだからな」
 私は振り向かなかった。アスファルトに固められた荒野の道を、このまま背を向けて立ち去る事が彼らに対しての礼儀だと悟ったからである。
「帰りに通る時は、もう、お前たちには構わないから安心して寛いでいてくれよ」
 私は角を右に曲がり、本来の目的地、コンビニへと向かった。急がずに。そうして私はそこで妻のためにスイーツを買い自宅に引き揚げた。残念ながら、肝心の缶入りの酒は忘れてしまっていた。
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