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2019年08月19日18:13

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小池真理子著『死の島』

小池真理子が2016～17年にかけて書いた小説『死の島』を読む。400ページを超える大作である。

主人公澤登志夫は69歳。長く編集者を務めていた出版社を4年前に辞め、都下の某講座で小説創作の講師をしていた。しかし、がんである事が分かり、転移が進んでいてステージ4だと医者に告げられた。
講座の講師もやめ、自らの死に方について考える。
彼は20年程前に、自分の浮気が原因で離婚していた。妻からも娘からも人格を否定され、軽蔑され、それ以来一度も会っていない。その原因となった恋人とも、しばらくして疎遠になった。
今は1人で暮らしている。
それは認めざるを得ない。自分で選んできた生き方であって、がんになったからと言って、自分の来し方を後悔する事はない。

講座の講師を辞めたあと、かつての恋人の妹から電話があった。妹とは一度会った事があった程度である。
澤は悪い予感がした。
待ち合わせた場所で話を聴くと、恋人はしばらく前にがんで死んでいた。延命治療を拒み、静かに死んでいったとの事だった、離れて住む妹は死に目に遭えなかった、と。
人として自立し、官能的でいながら知的な女性だった。
尊厳死を選択したのは、いかにも彼女らしい、そう澤は思った。
彼女は、妹にある本を澤に渡して欲しいとメモに書き残していた。
その本は、作品図版の印刷の入った美術書だった。
19世紀末近く、スイス出身の象徴主義画家アルノルト･ベックリーン(1827-1901)の《死の島》について論じたものだった。
これがそのまま本小説のタイトルになっている。

自分の心性表現として気に入ったベックリーンは、同じタイトルで1880～86年の間に5枚程描いている。
以下の画像は最初の1枚である。今はスイス･バーゼル美術館が所蔵している。

ベックリーンのこの作品は、その後多くの芸術家に影響を与えた。
美術に限らず、様々な分野でこれを採り挙げたり、これにインスピレーションを得た作品が創作された。
小池真理子がこれを選択して小説を書いた事は、今や新しくも何ともない。却って古めかしさを感じる程だが、小池はこの作品論や作家論に深入りする事は避け、ただ通底するイメージとして使用している。

以前の恋人がこの本を澤に渡して欲しいと思った正確な理由は分からない。
妹は美術に興味はなく、姉からその訳について聴かされた事もなかった。
澤はこれを貰って、自死する迄、印刷図版を本から切り離し、近くの壁に貼り付けて過ごした。「死の島」に向う一艘の船に乗った人物に、澤は自分を重ね、しばし静寂な気持ちを得る事ができた。

小説創作の最後の講座のあと、出口で若い娘が澤におずおずと声をかけてきた。
彼女は宮島樹里といって、秀でた部分のある短編を提出した事があり、澤は記憶していた。
話しを聞くと、その材料になったのは、自分の母と祖父との信じがたい関係だった。それに『抹殺』というタイトルを付け、彼女は既に亡くなった祖父への恨みを創作の上で晴らそうとしたのだった。
彼女は、手厳しい講座から澤に憧れと崇拝の念を持ち、講座を辞める事に大きなショックを感じていた。
澤は、講座の中で、細部をいい加減に書いてはいけないとしばしば注意してきた、たとえそれが本筋にあまり無関係のない事柄だったとしても。
歴史的な出来事に触れる場合は、しっかり調査し、うろ覚えで書いてはならない、とも。
宮島はその事を心に焼き付けていた。また、合評の時間に、彼女の『抹殺』を褒めてくれた事が、とても嬉しかったと、遠慮がちな声で話した。

既に自分の死の処し方を大筋焦点を定めていた澤だが、それ迄の限られた時間、歳の倍以上離れた彼女との付き合いは、彼に安らぎを与えてくれた。
つい澤は宮島に、自分の病気について話してしまう。
しかし、最後に向けた決心については黙っていた。

独りで生き、独りで死んでいく、生き方は自分で選択し、結果は全て受け容れる、そうした態度の中に生の尊厳もある筈なのだが、昨今のマスコミの取り扱いでは、哀れな独居老人の痛ましい孤独死としか扱わない。これはおかしいのではないか。尊厳死は罪なのか。
確かに死は恐怖ではある。しかし、自らの生き方と同様死に方も自分で決めたい。
それに向けて、澤は、極力人に迷惑をかけず、安らかに逝ける方法とチャンスを探っていった、感傷におぼれず、宗教に頼らず、なるべく冷静に。

そして、やっとそのチャンスが巡ってきた。
その先はここでは言わない。

小説『死の島』
執筆　小池真理子(1952- )
初出　2016年11月号～17年11月号[オール讀物]
発行　2018年3月文藝春秋

先日、静岡文化芸術大学の後期授業の聴講書類を提出に行ってきた。
たまたま友人と出会ったので、その帰りにお茶を飲む事とした。
近くのスタバに寄り、ホットコーヒーのSサイズを頼んでシュガードーナツを1つ貰った。友人はアイスコーヒー。
スタバのシュガードーナツは大きい。
『死の島』の第11章に澤登志夫と宮島樹里が初めてスタバでお茶を飲むシーンがある。その通りにと、友人に打ち明け話をしつつ、ドーナツをプラスチックのナイフとフォークで切り、半分勧めた。
友人も宮島と同じようにそれを口に運んで、「おいしい」と笑った。
(小説を書く際には)細部を大事に、というくだりも、この場で宮島の講座回想として話されるのである。
　

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