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2019年02月10日15:42

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認知から見た農業の始まり 3.耕さない農耕時代

ミズン先生はこの本の冒頭で 考古学の意味について話をしている
要約して言えば 「人間そのもの」を知る手掛かりとしての意味があるという
結果がわかっているドラマを楽しむことの重要性をいう
我々はハムレットを見る場合彼が生きるか死ぬかを賭けることなどしない
石器時代の祖先が何をして何をしなかったかよりも
その行為が彼らの心のあり方について何を教えてくれるのかが重要であると

だから エピローグで述べられているように
農耕が始まったことそれ自体が人類にとって重要なのではない
農耕を始めた心の動きがいかなるものであったかが重要で
その心の動きこそ 現在の我々にも共通して存在している思考の発生の仕方なのだ
そして それを知るためには
考古学をひもといてみることが重要な手法となるはずだというわけである

もっと言えば 現代社会を認識する あるいは そう認識するしか思考の方法論を持たない我々が
その我々自身を俯瞰する視点を持つためには
先史時代からの人間の心の動きのパターンを読まなければ不可能なはずだということだ

この本の難しさは本の内容や専門的な予備知識の必要性にあるのではない
自らの心を俯瞰的に理解する努力の困難さにある
我々は確実に間違えてしか物事が認識できない生き物だから
「何故間違えるのかを知ることが重要だということ」
それそのものを「確実に間違える脳」を使って思考する難しさだ



で そのような前提から
農耕を行わなかった旧石器時代から
農耕を伴う新石器時代へという極めて大雑把な概念を捉え直す必要が出てくる
自然を自分の意思で支配し服従させると言う意味合いから
従来はずいぶん厳格な「農耕の定義」というものが考古学界には存在した
その分け方を
文化的なビッグバン以前と以降の延長線上にあるものと捉え
その最終段階で農耕が始まったと見るべきなのかもしれない

日本列島のその時代の住人は 言わずと知れた縄文人であり
世界的に見ればかなりの特異性を持つ集団だ
彼らは 既存の考古学的な概念からすれば農耕は行っていない
灌漑を行い集団的な共同作業の結果として作物を得るというような作業を行った形跡は縄文人にはない
いわゆる管理栽培として有用な植物を身近に移植するなどして食物を得た形跡は残っているものの
組織立ってメインのカロリー源としてそれを利用した証拠は一切ない
しかし 明らかにかなり古い時代からほぼ一つ所に定住し安定した同系列の文化を連綿と継続し続けていた
言ってみれば
農耕を行わずして 農耕社会とほとんど同一の社会を古くから構成していたわけで
縄文社会で農耕が行われていたのかどうかという問題は
当時の事実関係の一つでしかなくなり 大きな意味を持たなくなってくる
弥生になって農耕が始まり
その影響で社会が複雑化し 貧富の差とともに階層社会が生まれて「クニ」ができたというこれまでの通説が意味を持たなくなるわけだ
言ってみれば 縄文人が農耕を行っていたか否かは問題ではなく
その縄文社会では 農耕に付随するはずの
社会的知能と博物学的知能の「勘違い」が
いかような別の形をとってそこに存在したのかが問題となってくる

あたかもネアンデルタール人が
単一の素材で単一の石器を作り続けて
他の技術には目もくれなかったかのように
縄文人も 人類としてかなり初期に磨製石斧や土器を使用しながら
幾度も接する機会はあっただろうと予想されるにもかかわらず金属類の使用に至らず
家畜も農耕にも手を染めずに一万年あまりを過ごしている
もちろんそこには自然条件的なものも影響しただろうが
弥生に入って数世代のちには列島の各地に稲作は行き渡っていることから考えて
農耕を行うに十分な博物的知能も社会的知能も技術的知能も備えていたともなければならない
すでに農耕時代に入っていたのだ

仮説としては
違う「勘違い」を組み立てていたのかもしれない
人間社会と自然界を二項対立として捉えることをせず
一方から一方へのなだらかな関係性の中で組み立て直す思考だ
違う言い方をすれば
自然界全体を人間も含めて擬人化するようなアニミズムの流れの中に階層化して捉える思考だ

まー 話が広がりすぎても
新たな「勘違い」を生み出すだけなのでw
空想はそのあたりで止めておくにしても
この辺りは世界史的な認知考古学の興味深い実例として
誰かがいつかひろいあげるテーマだろう

長生きしたいもんだw
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