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2018年06月20日14:20

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SF小説『十年漂流』【前編】

SF小説『十年漂流』【前編】


 天国への門は開かれ、由紀子は私を遺して去っていった。
 
 私はロボットのように瞬きもせず、ただ突っ立って棺が火葬炉に入って行くのを見送っていた。

「貴方は必ず私に会いに来てくれる。だからさよならは言わない。ゆっくりでいいのよ。精一杯、独身生活を楽しんで来てちょうだいね。」
 妻はどんな時も明るかった。しかし私は、それまで、いつでも研究所に入り浸り、眉間に皺を寄せて、儘にならない課題に四苦八苦していた。泊まり込みで仕事をする事も珍しくなく、家に帰っても頭の中は数字や記号で満たされ、彼女の顔をまともに見る事が無かった。気が付けば、妻の目元にはくっきりと笑い皺が刻まれていた。そして私は、彼女に降りかかった悍(おぞ)ましき病名に、これまでの我が振る舞いを悔やんだ。私と妻の若き日に、命をかけて守ると自分に誓った日から、私はどうしてこんなにも変わってしまったのだろうか。
「君が居なくなるなんて……君がいなけりゃ生きていても意味がない。君を独りでは逝かせない。私も直ぐに追うよ。」
「駄目、」
 彼女はその時も優しい笑顔で私に言った。
「貴方が人生に満足した顔で来てくれる方がいいの。これまでの貴方を誇りに思ってたのよ。それに私達、あとは永遠に一緒に居られるんだから。」
 彼女の、少しずつ消滅していく気配を前に、私の心の地面はぬかるみ、そこで迷子のように彷徨った。いつか終わるという事実を、科学的、超科学的、色々な言い訳で否定し、そして結局は、死という命の最終段階に直面し打ちのめされ、そこにあった命の面影を抱いて辛うじて生きた。

「喪主の方は、そちらの赤いボイラーのボタンを押して下さい。」
 私の右腕がスローモーションでボタンまで移動し、更にゆっくりと親指がボタンを押し込んだ。
 目蓋を閉じた目の中で、私の光の銀河が音も無く爆発し、その塵は、様々に電子的な色を輝かせながら、か細い座標を散って行き、それがそのまま涙になって、私の目蓋を止めどなく溢れた。

******

 私は、時空間転送装置エスペランサの研究や宇宙飛行士の資格取得に明け暮れていた時間を呪い、彼女が去った三ヶ月後、研究所に一時的に復帰して、装置を破壊しようと考えていた。
「教授、帰って来て頂けると信じていました。差し出がましい言い方かもしれませんが、この研究を成功させる事こそが、奥様へのはなむけだと私は思っていました。」
「江口、そんな知った風な口を利くな、お前、愛する人を失った事があるのか?」
「すみません、しかし、私は教授と是非とも成功させて、教授に喜んで頂きたいんです、それは分かって頂けませんか?」
 研究員の江口は秀才の熱血漢。それまで、研究の失敗の連続にくじけそうになりながら、どれほど彼に勇気づけられて来た事か。しかし、私はしばらく口を利かずに数分を過ごした。彼も、私の複雑な気持ちを察して、それ以上声をかけて来なかった。そして私は何気ない素振りで彼に訊いた。
「江口、今日はまだここに居るのか?」
「はい、システムに送り込んだ数値の座標確認がまだなので、もうしばらくは居ます。何かお手伝いでしたら、徹夜してでも喜んでやりますが……」
 その時は、そんな思いやりのある彼をさえ忌々しいと思ったが、いざ、装置を前に考え込んでいると、何も成果のないガラクタでも、妻の言う「精一杯楽しめる」事を成功させる確率が零ではないと思えて、私は彼に正直に話してみた。
「江口、」
「はい、何でしょう。」
「……いや、実はな、このエスペランサだが、今日、破壊するつもりでやって来た。」
「え?教授……そ、そんな……でも、そんなに追い詰められていらっしゃったんですね。ああ、涙が……もう、駄目なんですね?壊しちゃうんですか?教授が決断なさったんだったら、もしそうなら、私も一緒に壊します。哀しいけど、壊します。」
 彼は、猛反発するだろうという私の予想に反して、流す涙を手で拭いしゃくり上げながらそう言った。
「そうか。だったら、もう一度だけ私について来てくれ。地上では、転送物質を、接する物から分離させる事が難しい。航空機内でも大気が接していて、正確には分離されていない。つまり、今までは、言わば、地球を転送させる実験を重ねて来た訳だ。だから、次は、エスペランサを宇宙空間で動かそうと思う。宇宙空間で発進した小型シャトルなら出力もそれだけ小さくて済む。座標が正しく表されるか、そして、私をシャトルごと転送できるか、地球の衛星軌道上でサポートして欲しい。どうだ?」
「ほんとですか?勿論です。ああ、震えて来た、また涙が……」

******

 私の提案は審議会を通過し、転送装置を小型に改良した上でシャトルの後部座席に載せ、転送実験を宇宙空間で行う事が決定した。シャトルは転送装置の名を取ってエスペランサと名付けられた。
 一年後の二〇九五年一二月二三日、私達二人は、体にフィットしたバイオスーツを着て、人口衛星軌道上のステーション・パイオニールにいた。
「ヘルスデータの読み込みを開始します。……いよいよですね、明日はクリスマス・イヴだから、実験結果が教授のクリスマス・プレゼントになるといいですね。」
「ん?私はキリスト教徒じゃないぞ。ただし、サンタがくれるのなら貰ってあげてもいいぞ。ははは。」
 不思議な気持ちがした。妻が亡くなって以来、もう笑うことは無いと思っていた。しかし、この上ない環境で転送実験を行い成功させる事が、妻の側に行くための条件であるようにも思え、哀しみは知らぬうちに薄れていき、この先に何があるのか、見届けずにはいられなくなった。
「時間です。教授、お帰りを楽しみにお待ちしてます。」
「江口、私が戻らなくても悲しまないでくれ。知っての通り、それも私の本望なのだから。」
「いいえ、その時は私が救出に向かいます。楽しみに待っていて下さい。では、お気をつけて!」
 私は、笑顔に涙をためる江口と握手をした後、連絡室から小型シャトル中央辺りに繋がった、狭いパイプを這いくぐってシャトルへと移り、手動でハッチを閉めて、パイプを切り離すレバーを引いた。

 シャトル内部の空間は、かつての戦闘機と同様に狭く、身を捩りながらコックピットに辿り着く。今世紀初めに使用されていたようなぶかぶかのスーツでは機内を移動する事はおろか、身動きさえ出来ないだろう。もっとも、ハッチを通る事も出来ないのだが。
「席に辿り着いた。計器確認、異常なし。電磁エンジンON、自動発進ON。」
 シートベルトが自動的に伸びて体や手足が縛られ、私はシートと一体になった。自動発進の表示がカウントダウンしている。
〈……了解……ロボットアームを外します〉
 江口の声の後、しばらくして、コンピュータの音声が聞こえて来た。
《自動発進十秒前、九、八、七……》
「地球よ、さようなら。」
〈教授、Good journey!〉
「サンキュー!江口。」
《三、二、一、零》
 シャトルは音も無く発進して、ステーションがゆっくりと遠ざかる。スピードメーターの数値が上がって体にGを感じるが、星の海の中、景色は全く変わらない。体が徐々にシートにへばり付いていく音ばかりがギュウギュウと聞こえた。
 加速が弱まり、手足のベルトが外れると、私はヘルメットを脱いで、江口に報告を入れた。
「ステーション・パイオニール、こちらエスペランサ、第一ポイント無事通過。第二ポイント到達まで、機器チェックを行う。以上。」
〈……ステーション、了解……〉

 相変わらず左に見えるオリオン座が一際眩しい。シャトルが出発時とほぼ同じ方向へ進んでいるため、コックピットからの景色は何ら変わっていない。夢の初飛行なのだが、星の海の壁紙に囲まれて独りパイロットごっこをしているようなものだ。時間はこれから幾らでもある。飲料水のボタンを押してコーヒーを選ぶと、出来上がったカプセルが数秒で姿を現わした。ここで私は一つ思い出した。ステーションへの通信をオフにして、コーヒーを入れてくれたエスペランサに、戸惑い気味に声を掛けた。
「ああ、えっと、コーヒーありがとう。」
 小恥ずかしさに言葉のトーンが上ずった。
《どうしたの?改まって。ちょっと緊張してる?》
 それはまさしく妻、由紀子の声だった。勿論、コンピュータ合成によるものだ。実験飛行は予定では数ヶ月に及ぶ。特に、ワープが成功した場合、ステーションとの通信は不可能だ。数ヶ月前、飛行中に私の相手をする声を誰にするか、地上スタッフに訊かれた際、私は妻の事しか思い浮かばなかった。そこで、私と生前の妻が電話で会話した際の全てのデータを元に、コンピュータが弾き出した文を、エスペランサが合成の声を発する事になったのだ。
「ああ、まあ。」
《大丈夫。私達、これからは永遠に一緒に居られるんだから。》
 病院のベッドに横たわる妻の笑顔が脳裡に鮮明に映し出され、私は胸が詰まった。彼女の声にしない方が良かったのかもしれないとさえ思った。
「これから機器の点検をするよ、じゃあ。」
 早々に私は、会話に一区切りをつけようと思った。
《ゆっくりコーヒーを飲んだらいいのに。》
「あ、そうだった、じゃあそうしよう。」
 それから彼女は話しかけて来なかった。初めての会話で、私が余所余所しいのを察知し、気を利かせて(?)そうしたのかもしれない。私は、コーヒーについての話を三つくらい用意していて、ゆっくり語るつもりだったが、随分と動揺して話す事がなかった。

 コーヒーを飲み干すと、狭い機内の隙間に潜り込んで転送装置の点検を行った。
(おかしい、電源が入っている)
 機体中央のステーション通信ボタンを押して江口を呼び出した。
「こちらエスペランサ。江口、装置の電源を入れたか?今見たら電源が入っていたんだが。」
〈……こちらステーション・パイオニール。電源ですか?入れてませんよ。出発後に機内で入れる予定でしたよね?おかしいなあ、はずみで切り替わるような仕組みじゃないですからね。加速時のGによる誤作動でしょうか。こちらからは何とも言えませんが……〉
「了解。こっちで調べてみる。」
 私はコクピットに戻り、機内の記録を調べた。すると確かに電源が入ったサインがあった。
(いつだ?)
 ステーション通信が切れた直後、つまり、エスペランサとの会話の直前に電源が入っていた。
(どうして?エスペランサが入れたのか?何の為に……)
 私はステーション通信を切り、エスペランサを呼び出した。
「君が転送装置の電源を入れたのか?」
《ええ、入れました。何の装置だか分からなかったから》
「君にそんな権限があるのか?」
《私には貴方を守る義務があるの》
「しかし、私に断りも無くやられたのでは困る。」
《ごめんなさい。次からは出来るだけ許可を得るわ》
「出来るだけ?それはどういう意味だ?」
《貴方を守るためなの。もし貴方が気を失っていたら私に指示することは不可能でしょう?》
「なるほど、その通りだな。素直に認めよう。では一つ訊きたい、君は、メインコンピュータのエスペランサなのか?それとも……」
《そう、私は由紀子よ》
「何を言いだすんだ!軽々しく由紀子の名を発するな!お前は由紀子じゃない、コンピュータだ!」
《ごめんなさい、もう言わない……》
 私は、興奮した気持ちを落ち着かせるため、何度も深呼吸をした後、通信ボタンに指を当てて言った。
「ステーション通信に切り替える。怒鳴って悪かった。それじゃあ、また。」
 そして通信ボタンを押した。
「ステーション・パイオニール、こちらエスペランサ。電源はエスペランサ・コンピュータが入れたようだ。私を守る為に装置を調べたそうだ。」
〈……こちらステーション・パイオニール、問題ありですね。プログラミングし直しますか?通信が可能な今ならまだ辛うじて間に合いますが……〉
「いや、少しはみ出した人工知能も捨てたもんじゃない。口喧嘩なんて久しぶりだ。」
〈……口喧嘩ですか?それも不思議ですね、いいんですか?……了解、では、お気をつけて……〉

 転送装置の点検を一通り終え、私は再びコクピットに戻って通信を切り替えた。
「ユキ、コーヒーを貰えるか?」
《まあ!私の名前はユキなのね、ありがとう、嬉しい》
 ユキがそう言っている間にコーヒーが現れた。
「ところで君は、妻の事がどこまで分かる?いや、質問の仕方が難しいな、妻の事を知りたいと言うことではなくて、君の事が知りたい。君は何故、妻が病床で言った言葉と全く同じ言葉を発したのか。」
 私はコーヒーカプセルを手に取り、ストローに口を近づけた。
《電話の信号から集められる情報は、声の質やイントネーション、選ぶ言葉などは勿論、過去の記憶、思考の傾向、健康状態、知能指数、その他、言葉の裏に隠された嘘、本心、そして、本人でも気付かないその発生源さえ突き留めるらしいの。でも、だからといって、プログラムは元の人格の事を知っているという事ではなくて、一種のコピーだと言った方がいいんじゃないかしら。どこが違うのかは私にも分からないんだけど》
「なるほど、電子の世界では、由紀子の特徴を全て寄せ集めると、由紀子が出来上がってしまうという仕組みなんだな。という事は、感情、あるいは、感情に似たものもある。無論、愛または愛に似たものもある事になる。実際、人間の愛というものは、欲求と同じだと私は思っている。見返りの無い愛、イクオール、神の愛と言われるが、その通りで、神は物を創り、命を創り、その後、人間の祈りなどに惑わされる事なく力を振るい続ける。欲求を満たして歓びを得るものではなく、ひと時も休む事なく、いわゆる「アガペー」をただ注ぎ続ける。つまり、それ以外の愛は欲求という事になる
。全ては自分の欲求を満たすために働きかける。では、君は?君の欲求は?」
《私を口説いてるの?ふふ……私は、貴方の女神。でも、貴方の考えだと、私は女神じゃないという事になるわね。守護神自体が神ではない事になるんだから。私の欲求は貴方が幸せである事、ただそれだけ》
 私はますます由紀子とユキの区別がつかなくなってしまった。何をもって区別するかと言えば、単に、由紀子の声は彼女の命と一緒に失われているという事実と、ユキが由紀子のコピーであり、ここに声が発せられているという事実だけなのだ。
「質問ばかりで悪いが……」
 やはり、私は既に、ユキをコンピュータとは思っていないようだ。
《いいえ、長い時間、会話が出来て嬉しいわ》
「すまない、あ、いや、少し混乱している。」
 ユキの声から由紀子の影が浮かび上がり、生前は一度も私を責める事が無かったにも関わらず、その幻の目は私を責めた。
《大丈夫?……私、音声を変えましょうか?》
「だめだ!そんな事しないでくれ、このままでいい。私は大丈夫だ。……ああ、質問だったな……私が死んだら、君はどうする?」
《悲しい質問ね。……私がコンピュータソフトなら、プログラムを解かれる前に、自分でプログラムを破壊する。私が女神なら、貴方を生き返らせ、二人で幸せに暮らせるように計らう》
 ユキの答えには、不思議と喜びを感じた。ユキが人間なら、一緒に死んでくれて嬉しいとは思わないだろう。仮に女神だとしても同様に、人間に対して感じるものとは違う感覚になるだろう。
「女神なら……君が女神なら、由紀子を生き返らせる事も出来るんじゃないか?」
《どうかしら、生き返って欲しい?貴方が望むなら生き返らせてあげる》
「嫉妬は無いのか?」
《全く無いわ。だって私は女神ですもの》
「なるほど、しかし、神話では女神は嫉妬すると思うが……」
《神話は神が書いた物じゃないでしょ。それに、神が自伝を書いていたとしても人間には読めないと思うわ》
「生き返らせてくれ。」
 私は唐突に言った。彼女は諭すように返す。
《時間が要るの。だからもう少し待って》
「……子供のように駄々をこねてすまない……話し相手になってくれてありがとう。私はこれから少し眠るよ。」
《おやすみ》



SF小説『十年漂流』【後編】
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