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2018年05月10日23:01

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日本の東と西.8

日本人の東と西での性質について

宮本常一先生以来
ごく大雑把な家族制度を含めた生活習慣の差異が言われる

東は家を中心とした家族中心思考で縦のつながりを重視する
それに対し
西は同業や同年代という横のつながりの社会である
みたいな感じだ

西には倭の文化的影響があって
漁労と農耕の社会だ
漁労は働き手として複数の男子が必要で
子供や若者はその担い手として家を超えた集団から随時供給される必要がある
「若者小屋」という制度が近代まで残ったのも
横のつながりを重視する倭の思想ならではだろう
階層的な横のつながりは
上の階層を重んじるために年長者を敬うという習慣を生み出す

東は縄文的風習が残り
おそらくは古い移動生活の「バンド」(一家族から数家族の移動単位)の影響で
家族が行動を共にする
横のつながりや 同業者の関係性に対し家が優先する
しかし 年長者は実働に不具合が出るような歳になればおのずと引退し
隠居して 実力のある若手が責任を負う立場につく
狩猟が男の仕事である場合
そういった民族があるのは他にも見られる

これらは近代以前まではかなり色濃く残っていたようではあるが
現代に照らし合わせてみると 必ずしもそういった傾向が顕著ではないようにも思う
これは近代以降の家父長制度という国家政策の中から過去を見てそれを範となす人が多くなったからではないかと思われる
例えば武士の歴史的制度や 卑近な例で言えば映画や家庭を描いた漫画や
もっと言えば軍隊 あるいは日本人の統一的家長制度としての天皇制の存在によって
西も東も家 もしくは家庭を第一とする倫理観の中から過去をみることになる

昔から日本人は家制度を重視して
家の名を汚すことを最も恐れた みたいな感じで思い込んだわけだ
実際にはそんな話は
おそらく東ですらないw
バンド単位の東にしても それは生きる術であり
西の横のつながりにしても同じである
儒教的な付帯物が家という単位に付随し始めたのはごく最近の話でしかない

生き残ることに懸命であった時代の民族的慣習は
危機を脱すればおのずと消える
しかし 底流としてはあり続けるだろうから
必要とあらば頭をもたげてくることもあるだろう

おれは学生時代からずっと建築業界に身を置いている
学生の頃はずっとビル建設の資材搬入のバイトをやっていた
この建築業界ってのは ある意味縄文的で また弥生的でもある
同業の大工なら大工で お互いに手伝いに入ったり呼ばれたりで
横のつながりがなければやっていけない
他業種にしても上下関係ではなく 横のつながりで連結して
一軒の家を立てるにして よく顔を合わす連中で自然と「組」になる
「組」は有機的で不定形であり
その関係は拘束的なものではなく入り組んでいる
この辺りは弥生的だ
しかし 企業としての元請けが発生する明治以降は
元請けの権威が増し
一つの企業体が「家」となり実質的に仕事を確保することと引き換えの低賃金での拘束という悪い意味で縄文的な「バンド」となる傾向がある
まー この場合企業としての優位性からくるものなので「縄文的」とは言いがたいところもあるがw

職人という存在は 多くは弥生系の人間から発生している場合が多いので
慣習的に弥生色が強い業態なのかもしれない

対して近代以降の家制度に準じた日本のサラリーマンはいたって縄文的であると言えるかもしれない
現代人をノマド的であるといったのは誰だったか覚えてないが
家族を引き連れて 転勤を繰り返す企業人は
大きな「家」としての企業の一員であり続け
その構成員は随時定年で交代する
以前の終身雇用制はまさに家制度の延長線上に あるいは縄文的つながりであったかもしれない

なんかこー イメージ的な見てくれでは職人集団の方が縄文的だけれどもw
遺伝子とは無関係に そして地理的要因とは関係なく
日本の東と西というものは生き残っていくのかもしれない

続く
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