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2018年05月03日10:41

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飛龍革命〜あれから30年〜(12)

88年5月27日、仙台・宮城県スポーツセンター(テレビ収録、観衆3620人満員発表)では新IWGPヘビー級王者となった藤波が長州の挑戦を受けて同王座初防衛戦を行いました。

試合は藤波が試合中に足を負傷、急に動きが悪くなり、レフェリーのタイガー服部は試合をストップ。

藤波のレフェリーストップ負けかと思いきや、22分55秒、ノーコンテストとなりました。

負けに等しいノーコンテストとなった藤波は納得がいかずタイトルを返上。タイトルはコミッショナー預りとなりました。

両者は6月24日、大阪府立体育会館で王座決定戦で再戦を行うことに。

IWGPジュニア・ヘビー級王者の馳浩はカナダの天才児、オーエン・ハートの挑戦を受けましたが、13分7秒、オーエンの鮮やかなリバースのウラカン・ラナ(高角度後方回転エビ固め)に敗れ、87年12月27日、両国国技館で小林邦昭を国内デビュー戦で破って王座獲得して以来、5か月で転落しています。

IWGPチャンピオン・シリーズのタイトル通り、このシリーズはタイトルマッチのラッシュとなりました。

6月3日、鹿児島県立体育館(ノーテレビ)では藤波、木村健吾組が保持するIWGPタッグ王座に坂口征二、藤原喜明組が挑戦。

16分27秒、木村健が藤原をエビ固めに丸め込み、3度目の王座防衛を果たしました。

当時既にフロント業務多忙であった坂口はシリーズにフル参戦することはなくなり、85年6月5日、新潟市体育館でのIWGPトーナメントでは藤波に首固めながらフォール負けを許し、87年8月19日、両国国技館でのナウリーダーvsニューリーダー5対5イリミネーションマッチ(猪木、坂口、藤原、武藤敬司、星野勘太郎組vs藤波、長州、前田日明、木村健、スーパー・ストロング・マシン組)では長州のリキラリアットにフォール負けし、退場するなどトップ戦線からは退いた感が大きかったです。

この試合が最後のタイトルマッチとなり、翌89年6月には猪木の参院選出馬に伴い新日本プロレスの社長に就任。90年3月に48歳で引退しています。

6月10日、広島県立体育館(テレビ収録)は5180人(満員)発表の観客を動員。

メインイベントでは藤波、木村健組のIWGPタッグ王座に長州、マサ齋藤組が挑戦。

19分42秒、木村健がM齋藤の監獄固めにギブアップ負けし、藤波、木村健組は無念の王座転落。

藤波はこの時点で無冠となってしまい、飛龍革命は決起して1か月半で早くもピンチを迎えてしまいました。

新IWGPジュニア・ヘビー級王者となったオーエンには地元広島出身の山田恵一が挑戦。

試合は山田が切れのある骨法の浴びせ蹴りで突破口を開いていきましたが、硬軟自在の王者オーエンが山田のウラカン・ラナを押し潰して、13分33秒、エビ固めに丸め込み初防衛に成功しています。

セミ前には3年ぶり日本で復活したディック・マードック、アドリアン・アドニス組のスーパー・バイオレンス・コンビvsビリー&バリーのザ・ガスパーズが対戦。

アドニスとカウボーイ・ボブ・オートンの対決がこんなところで実現していた訳ですが、ガスパーズはこのシリーズ後半から、夏場で熱いせいか、シャツの袖をカットし、鍛え抜かれた腕っぷしが剥き出しになりました。

動きやすかったことは確かですが、これでは「海賊亡霊」感がなくなり不気味さを欠いてしまいました。試合は両チームリングアウトの引き分けに終わりました。
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