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2018年04月17日13:10

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短編小説『蝉の声』

『蝉の声』


 蝉の声が聞こえて、
(まさかね)
 と思う四月。お坊ちゃんが自動車のマフラーに空き缶付けて走ってる音だろう、と思う意識を外から内に戻すと、スリッパを履く足元に少々寒さを感じる。エアコンの温度設定を上げようかと思っていると、玄関の向こうで、〈ジー〉と音がした。更には表が騒がしくなり、悲鳴も聞こえてくる。微かに「……蝉!……」と聞こえた気がした。
(玄関の〈ジー〉も蝉?空耳じゃないのか?)
 と可笑しな妄想に入る。


 玄関を押し開けようとしてドアが〈ガン〉と何かに当たって半開きになり、〈ジジジ〉と再び音がした。私は、ドアの向こうに人と同じくらいの蝉がいることを確信し、直ぐにドアを閉めた。閉めたはずが、音が〈バタン〉とはいわず、〈ボキ〉っという音を立てた。途端にドアの向こうで激しいジジ音が鳴り始め、ドアを何かで叩く音が何度も聞こえる。足元を見ると、枝が転がっていた。枝だと思いたいから思ったのだが。ジジ音は鳴り止まない。私はドアに鍵をかけ、丁度スピードスケートのスタートの姿勢でじっとしている。すると、ピタリとジジ音が鳴り止んだ。私はスケートの姿勢のまま外の音に聴き耳を立てている。何も聞こえない。ドアの覗き穴が光っているが、ドアに近づく勇気はない。蝉人間は、私が外の様子を伺う為にドアを開けるのを待っているのだろうか、それとも、既にそこには居ないのだろうか。
(だとすると)
 と私はゆっくりと後ろを振り返り、居間の奥のガラス窓を見やる。

(しまった!カーテンが開いている)
 蝉は私に足を切られた怨みから
(否、あれは木の枝だ)
 カーテンが開いた窓から憎い私を見つけ
(大丈夫だ)
 ガラスを割って侵入して来る筈
(いいや、ドアを開けた時、奴の体にゴツンと当てただけだ。え?それを根に持って?)
 そして奴は、あの頭部から伸びた管を私に突き刺し
(うわー、やめてくれ、ごめんなさい、どうすればいい?どうしたら蝉人間は帰ってくれる?)
 体の血を全て吸い尽くすのだ。
(ああ、)

 恐怖と罪悪感が頂点に達した私は、この罪深き身を蝉に差し出し、その審判を委ねる決心をした。そしてドアに近づいてノブに手をかけ、捻ろうとした時、居間の電話が鳴り始める。
(こんな時にやめてくれよ、決心が揺らぐじゃないか!)
 私は振り返り、つま先歩きで音を立てずに居間に行き、恐る恐る受話器を上げた。
《お忙しいところ大変申し訳ございません、わたくし、》
 受話器を静かに戻し、私はまた爪先歩きで玄関に急ぐ。そしてドアノブに手をかけると、また電話が鳴る。
(ざけんな、てんめ、しつけー、ばかやろ)
 と思いながら、先ほどの動作を繰り返し、受話器に向かって小声で吠える。
「あのー、今取り込み中なんです、もうかけないで」
 電話の向こうに反応がない。
「あ、ごめんなさい、言い過ぎました。あとでまたかけて頂いた方がよろしいかと、申し訳ございません。え?もしもし?もしもし?」
《……ジジ……》
「ギャーー!」
 耳元で響いた音を振り払うように首を縦横無尽に振りながら玄関に走り、ドアノブを捻ってドアに体当たり。
〈ガン!〉
 蝉が通せんぼを、
(いや、ドアチェーンがかかったまま。なんだ、さっきもそうだったのか。ん?しかし足元の蝉の足は?)
 おそるおそる足元を見れば、馬の頭の靴ベラが折れて落ちている。
「ああ、なんだ、蝉人間なんているわけないよな」
 私は安堵してチェーンを外し、ドアを開けて外に出る。
「ああ、清々しい春の匂いだ」
 しばらくすると、銃声のような音がしたが、
「これも空耳さ」
 と呟き、部屋に戻ることにした。


 可笑しな妄想に満足して玄関に行き、ドアを開ける。県道沿いの桜並木は葉桜になり、透き通るような瑞々しい緑に覆われていた。
 春とはいえ、まだ肌寒い。そろそろ中へと振り返ると玄関のドアが閉まっている。
「え、何で?」
 通りの方が騒がしくなった。
「……せ、蝉よ、うそ、着ぐるみでしょ?え?こっち見てる、キャー!」
 振り向くとドアが開き、
〈バン!〉
 そして勢いよくドアが閉まり、足を挟んだ。
「痛え!うっわ痛え、すっげ痛え。誰だよ、開けろ、ここは俺ンチだぞ」
 とドアを叩くが、応答がない。仕方がないので交番に向かうことにした。
「その前に不法侵入者に電話してみるか」


 
 

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