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2018年02月23日08:05

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ファンタジープロレスの巨匠桜井康雄さん追悼(289)

79年1月12日、川崎市体育館でのテレビ生中継でボブ・ループが猪木のNWFヘビー級王座に挑戦しています。

観客発表は3700人と満員とは成らず。1週間前の1月5日に全日本プロレスが鶴田vsフリッツ・フォン・エリックの試練の十番勝負最終戦をメインに興行を開催し、3800人発表の観客を動員していますのでこの川崎興行戦争は引き分けと言っていいでしょう。

テレビ中継は猪木vsループの1試合のみ。ループはグレート・マレンコをマネージャーに従え、星条旗をあしらったツーショルダータイプのタイツで登場。

猪木はこのシリーズより新調した白地に紺の襟、背中にコブラの絵が大きく描かれたガウンで入場。

この試合、ループが一方的に猪木を攻め、猪木が内容では完敗したと伝えられている文献が多数ありますが、

実際はループがアマレス流のタックルを駆使して猪木のバックを取り離さない展開が続き、猪木はループの中に終始入って攻めることが出来ず。

ローラン・ボックと同じで猪木の動きを封じ込めていいところを取らせない試合となりました。

アマレスのバックボーンがない猪木はループをコントロール出来ず、攻めあぐねていた感じで、ループが猪木の動きを完封してしまった試合でした。

猪木もドロップキック、バックドロップ、ブレーンバスターと大技を出していきましたがどれも単発で決定打とは成らず。

あっという間に25分が経過し、テレビ中継もそろそろ終わりに近づいた頃、猪木がループにコブラツイスト。そこへマネージャーのマレンコが乱入
27分2秒、猪木の反則勝ちでやや唐突に終了した感がありましたが猪木は苦しい18度目の防衛を果たしています。

猪木は自分のやりたいことだけをやる選手を殊更嫌う傾向にあり、ループはこのシリーズ、ノーフォールで帰国しましたがプライドを傷つけられて逆鱗に触れたか、2度と新日本に呼ばれることはありませんでした。

アメリカ遠征に出発した藤波は1月11日、12日の両日、ロサンゼルス・オリンピック・オーデトリアムに亘ってWWWFジュニア・ヘビー級王座の防衛戦を行っています。

初日はマスクド・カナディアンの正体としても知られるロディ・パイパーを12分30秒、体固めで破り、2日目は未来日のエディ・マンスフィールドを15分12秒、ジャーマン・スープレックスホールドで降し、13、14回目の防衛に成功しています。

この時はテレビ朝日による収録はありませんでしたが、11日の会場はオリンピック・オーデトリアムではなく、カリフォルニア州ベーカースフィールド・スポーツアリーナと報じているものもあります。

オリンピック・オーデトリアムは毎週金曜日夜が定期戦のある日で79年の1月12日は金曜日であり、オリンピック・オーデトリアムでの連日興行は考えにくく、11日はベーカースフィールド大会だったと思われます。

マンスフィールドは後年、プロモーターとのトラブルからか、テレビマッチの生中継でいきなり自分で自分の額をカミソリでおもむろに切って流血してみせ、「いいか、プロレスの流血なんてフェイクだ」とアピール。

自らケーフェイ破りを行って業界から去った問題人物でした。
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