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2017年12月27日23:22

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ファンタジープロレスの巨匠桜井康雄さん追悼(255)

猪木は連日の激闘に及んだ欧州世界選手権シリーズから帰国して、早速新日本プロレスのプレ日本選手権に参戦しました。

猪木は12月2日、名瀬市体育館からシリーズに合流、メインでは欧州世界選手権シリーズに同行した藤原喜明とタッグを組んで、ヒロ・マツダ、永源遥組と対戦。猪木とマツダはこれが初対決。

1本目は13分52秒に猪木とマツダが両者リングアウト。2本目は5分31秒に猪木が永源を体固め。2-1で猪木、藤原組が勝利を飾っています。

永源は正規軍であり、狼軍団ではないですが、予選リーグ戦で試合がなかった為に呉越同舟でマツダとタッグを組んだと思われます。

ちなみに、永源は日本プロレスが崩壊する前に「人減らし対策」でカンザス地区に遠征に出されており、崩壊後の73年10月26日、後楽園ホールでの闘魂シリーズ第2弾開幕戦から新日本所属としてリングに上がっていますが、84年9月に退団して新日本プロレス興行(ジャパンプロレス)に移籍するまでの約11年間で猪木とタッグはもとより、6人タッグでも1度も組んで試合をしたことはありませんでした。

猪木は同じ中堅ポジションにいる木戸修、柴田勝久、当時は1ランク下の藤原、小沢正志(キラー・カーン)とはタッグを組んでいます。

猪木は「相撲出身のレスラーは腹が出ているからダメだ。腹が出ているのは練習不足」と言っていましたが、これは多分に全日本プロレスの中堅や国際プロレスのラッシャー木村等を指して差別化していたに過ぎず。

猪木は永源のことが嫌いか(71年12月の猪木日本プロレス追放・除名処分の時に永源にと交流のあった反社会的勢力の興行関係者が猪木排除に動いたとされている)と思いきや、永源と荒川誠(真、ドン荒川)の試合を控室から出てきて見て大笑いしていたという話もありますので嫌ってはいなかったでしょう。何よりチケット売るのとタチマチ連れて来る能力に長けていた永源のことは必要としていたはずです。

後の内閣総理大臣、森喜朗衆議院議員が立会人として新日本プロレスのリングに上がるようになったのはこの辺りの時代ですが、こちらも永源人脈でした。

おそらく、永源のコミカル要素の強い試合スタイルが自分とは合わなかったということだと思います。

00年6月、全日本プロレスから三沢光晴以下が大量離脱し、プロレスリング・ノアを旗揚げしますが、旗揚げ前にディファ有明前で撮った集合写真を見た猪木は、

三沢、小橋健太(建太)、田上明、秋山準ら主力メンバーには触れず、「永源ってのはしたたかだなぁ」とその世渡りの上手さに言及しています。

永源が猪木と離れたことで新日本プロレスのスポンサーやプロモーターが離れたこともあり、皮肉を込めたコメントでした。

さて、この日もプレ日本選手権は予選リーグ戦がまだ行われており、坂口が長州を逆エビ固めで破り、藤波は星野勘太郎を回転足折り固めで降しています。

ストロング小林vsサンダー杉山という元国際プロレスでIWA世界ヘビー級王座を保持していた者同士という興味深い対戦が組まれましたが、試合にブランクのある杉山はS小林には敵わず、6分47秒、エビ固めでS小林が勝利を飾っています。
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