関川夏央と谷口ジロー共著による漫画「『坊っちゃん』の時代」全5巻を読む。
物語を書いたのが関川、漫画にしてそれを描いたのが谷口とすれば、普通は「関川原作･谷口作画」と表記するだろうが、関口の拘りもあって、「共著」とされている。
関口が書いたのは小説でなく脚本であって、それを谷口が絵にした、その後追加･カットなどの編集を行い、謂わば映画の手法によってこの作品はできた。
関口と谷口の関係は、芸術的影響を相与え合う関係で、谷口のペン画の繊細さ、コマ割り、時代と人間表現のリアリティなしに、関口の物語もあり得なかったろう。
1987年に週間[漫画アクション]で連載が始まり、完結したのは1996年である。何と12年もかかった労作だ。
関川の明治という時代、それを生きた作家その他の人物たちについての綿密な調査･研究の蓄積の上で、ようやく成り立っている。
その間で、例えば実在の小説家Aと政治家Bがここで出遭っていたらこんな会話がなされこんな事件に発展したかもしれない、それが彼の小説にこんな影響を及ぼしたかもしれない、更には、架空の人物創作も注意深く忍ばせ、豊かでありながら荒唐無稽でない見事な時代表出となった。
繰り返しになるが、そのリアリティ醸成には、谷口のペンの力がなくてはならないものだったろう。
谷口ジローは1947年生まれ、今年2017年2/11に病のため69歳で惜しまれて死んだ。
関口夏央は、谷口の2歳下、1949年の生まれで存命である。
この作品は、2001年、第2回手塚治虫賞を受賞。
また、谷口ジロー個人に対しては、彼の仕事全般についての評価として、2011年、フランス芸術文化勲章シュヴァリエ章が与えられている。
「『坊っちゃん』の時代」全5巻の構成は以下の通りである。
第1巻「『坊っちゃん』の時代」
第2巻「秋の舞姫」
第3巻「かの蒼空に」
第4巻「明治流星雨」
第5巻「不機嫌亭漱石」
第1巻；
1905(明治38)年11月、夏目漱石38歳。東京市本郷区千駄木57番地、漱石の家で物語は始まる。
この1月から翌8月にかけて、『吾輩は猫である』を新聞に連載しているが、それはロンドン留学来の神経症治療を目的としていて、本職は帝大講師等で収入を得ている。
銀座のビアホールでの酔余の喧嘩がもとで知り合った森田草平,荒畑寒村他数名が、漱石の家に上がり込んでいる。
新しい小説(『坊っちゃん』)の構想を漱石は練っている。
その時代背景、西欧近代化の波と旧来の道徳、国家と個人、政治と個人、家と個人、旧い女性と新しい女性、そして虚実の人間関係を生々しく捉え、群像小説『坊っちゃん』は次第に形を整えていく。
「マドンナ」とは、「清」とは誰か？
日本近代の青春時代とも言える明治が、この辺りから変化をきたしていく。
第2巻；
時代はやや遡り、1888(明治21)年9/8、森鷗外がドイツ留学から帰ってくる。
その4日後、「エリス」という女性が鷗外を追うようにして来日する。
家(=国家)と愛(=個人)との間で苦悩する鷗外を、小説『舞姫』、『独逸日記』とを絡め、また、二葉亭四迷との運命的関係を孕ませて、近代日本の転変をフォーカスしていく。
「エリス」の実像はあまり残されていないが、関川によって、単身で来日する程の意思をもった生身の女性として大きく膨らまされている。
第3巻；
主人公は1909(明治42)年、23歳の石川啄木である。
借金を背負いながら、食や性への衝動や欲求に勝てない迷える一青年として彼を描く。
同郷の親友金田一京助に対してだけでなく、あらゆる手段を講じて、借金を重ねる事を日々考え、実生活を構築しない男。小説は中途で投げ出し、溜め息のように口を突いて出るのは、ただ歌ばかりである。
そんな享楽的な啄木に、閉塞していく日本の影が被さっていく。
平塚らいてう、菅野須賀子等新しい時代の女性との出会い。
菅野は社会不正に対し無政府主義を掲げて立ち上がろうとする。それらを強引に捩じ伏せようとする国家権力。黒幕の山縣有朋。
二葉亭四迷はインド洋上の客死し、朝日新聞嘱託の啄木は四迷全集の校正の仕事をすることになる。
啄木は、第5巻でも狂言回しの役どころを演ずる。
第4巻；
1910(明治43)年、ハレー彗星が地球に大接近する。
不安な世相の下で、大逆事件が起こり、国家権力は、幸徳秋水、菅野須賀子他を法を枉げて拘引し、僅かな期間の裁判で、日本各地の社会主義者、無政府主義者らを一挙に死刑とする。
彼らは行為や犯罪でなく、頭の内の思想をもって極刑とされたのである。
(その同じ匂いを「テロ等準備罪」を強引に通した21世紀の日本に嗅ぐのは、私だけではないだろう。)
大逆事件に至る若者たちの日々と、方向転換をする国家権力の内幕を描く。
朝日新聞社にあって啄木はその動向を注視し、漱石は胃痛に悩む。
第5巻；
1910(明治43)年の「修善寺の大患」で生死の境を行き来する漱石。
その脳裏に去来するものは何か？
明治とはどういう時代だったのか？
関川は言っている「私はこの五部作で、ひとくちにいって近代史の転換点そのものを主題とした」。
「明治三十九年から明治四十三年をことさらに時の舞台として選んだのは、その日露戦争後の数年間こそ近代日本の転換点であったと見とおしたからだ。そしてこれ以後日本は一九四五年へとつづく鉄路の上を、はなやかに重々しく進み始めるのである。」
つまり、その後の甚だしい軍国主義化、人権軽視、第2次大戦敗戦までの流れの大もとを、明治末期に関川は見たのである。
そうした時代に、近代化の波と苦闘しながら、明治の青春群像の生々しい生と伴に、彼らが見たもの、得たもの、失ったものを、関川夏央と谷口ジローは描き残そうとしたのだろう。
私が持っている全5巻は以下。
第1巻 1987年双葉社発行アクションコミックス
第2巻 2002年双葉社発行双葉文庫
第3巻 同
第4巻 2003年双葉社発行双葉文庫
第5巻 1997年双葉社発行アクションコミックス
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